アッパレ!滋賀報知!制服と憲法を結びつけた!しかし、しかし・・・
昨日の滋賀報知の社説は、学校現場の「理不尽性」を指摘した貴重な問題提起の社説でした。その点ではアッパレ!でした。
しかし、これを読んで、「そうだな」と思う反面、「いや違うな」、「もっと大切なことを見逃していないか」「先生たちの立場はどうなんだ」、「『学校VS生徒、学校VS保護者、教師VS生徒』的な視点に陥っていないか」、「モンスターペアレントを助長していないか」「学校・教師不信」「学校バッシングに陥っていないか」などなど、考えてみました。
同時に、この問題に成功すれば、学校が民主主義を学び、憲法の裾野を拡大強固なものにできるのではないか、憲法擁護などというレベルの話ではなく、憲法を日常生活に活かす国民づくりの問題であると思いました。そこで検証してみることにしました。まず、以下の社説をお読みください。
学校現場の憲法抵触の実態は制服だけではありません!
何故制服の自由化ができないか!それが問題です!
滋賀報知 制服を強制すれば憲法に抵触する 2014/5/3 0:06
http://www.shigahochi.co.jp/search.php?type=editorial&run=true&sort=open_time&sort_PAL[]=desc&
幾度となく学校の制服について論議されてきたが、中学、高校における制服自由化は実現していない。
制服のメリットとしては20年以上前から「服装を自由化するとブランド品などの高価な服装を着る生徒が出てきて家計の負担が大きくなり、制服を指定することにより家計の負担が少なくて済む」、「制服を着用することにより非行に走りにくい」などの意見があったが、現在は「ユニクロやしまむらなどで安価に良いものが販売されている」、「非行に走る生徒は着替えるために制服での抑止力はない」など時代と共に価値観が変わってきている。
制服のデメリットは「着替えを持たない生徒は同じ制服を毎日着ている」、「意外と制服は高価で指定店しか購入できない」など価格破壊、自由経済に逆行している感がある。
制服を強制すれば憲法が認めている「基本的人権の尊重」に抵触する恐れがあり、「学校における基準服」と解釈でき、生徒にも基準服を着ない権利もある。
サラリーマンの必需品である「スーツ」の価格が、価格破壊により一着1万円以下は当たり前の時代であり、数万円する制服は家計を大きく圧迫しており、指定店でしか購入できないことも消費者が納得できないことである。
学校は「基準服」として示すが生徒に自由に選択させるべきであり、教育に制服着用を人質に取ってはならない。
ある観光地で制服の学生たちをみて米国人は「あれは軍隊か」と聞かれたことを思い出した。
安価で自由な服装で型にはまらず、自由な発想を養う教育も必要な時ではないだろうか。(引用ここまで)
「中学、高校における制服自由化は実現していない」ことはありません!
公立高校のなかで、どれくらいの学校で制服の自由化が実現しているか、調べてみました。その特徴的な事例をあげてみますと、以下のようになります。
1.生徒会が中心となって自由化を勝ち取った事例
2.生徒・学校・保護者の第三者協議会などで検討されている事例
3.学校・教師が「自由化」を打ち出した事例
4.70年代の民主化運動のなかで実現した事例
5.いったん自由化したが、制服に戻った事例
6.「自由化」後の学校・生徒・保護者の声などがまとめられている事例
具体的な資料を掲載しておきますので、ご覧ください。
制服自由化の現状 出典:「徳島新聞」2000年7月15日
Instructions for use Title 高校三者協議会実践の意義と可能 HUSCAP
学校で憲法を生かす ~生徒を中心に保護者·地域とともに創る高校 2011年6月6日
2010 生徒目線の飯田高校110年史 - 長野県教育情報ネットワーク - [PDF]
宮城県仙台第三高等学校
そもそも何か - 宮城の新聞 2009年3月31日
秋田高校の制服は自由と聞いたのですが本当ですか - OKWave
制服自由化 - 埼玉県立熊谷高等学校 - [PDF]
学校問題······ 処方箋<方向>は明瞭だと思うんですよね。わたしも数年前、ある筋の教育懇話会で3点を指摘しました。まあ一笑にふされましたね。1)学校 ... 制服について 「十年前、制服を廃止して、服装を自由化した。なぜ廃止したのか。それは生徒たちが(引用ここまで)
琉球新報 県内で初、真和志高が制服廃止 1998年3月5日
四月から那覇市の真和志高校(富川貞良校長)で制服が廃止される。県内高校では初めて。学校改革の一環として二年前から議論を重ね、生徒の個性尊重と自主性を期待してのGOサイン。学校側、父母、生徒も一応、歓迎の声が多いが、服装自由化への不安も隠せない。他校もモデル校として注目している。 真和志高校は新年度から、従来の学年制から、単位取得による卒業認定、二学期制、進学・個性伸長コースなどを導入し、これまでにない新しい高校へと生まれ変わる。制服廃止もその一環。 廃止についてはこれまで「私服になるとお金がかかる」「高校生かどうか分からなくなる」「華美またはだらしなくなりかねない」などの不安から疑問視する声もあったが、制服をなくすことで、生徒の個性尊重と自主性を高めようと廃止を決めた。 同校の富川校長らは「先進県なども視察したが、しだいに落ち着いてくると思う。制服廃止を含め一連の改革で生徒の自己管理能力を高めていきたい」と話している。また、PTA会長の金城真徳さんは「いい事だと思う。教育の変革が求められている時代なので、学校が自ら挑戦していくことは大事なこと。生徒たちも理解していると思う」と歓迎している。 一方、男子生徒は「学ランがとっても暑いことがあるし、私服になるととても助かる。(制服の)ズボンはこれからもはいていく」と話し、「けばけばしい格好は一部にあるかもしれないが、そういう人は少ないのでは」と話している。また、女子生徒からも「これまで通り制服で通うと言う友達も多い。あまり気にしてない」と父母らの不安をしり目にあっさりとした答えが返ってきた。 県内には公立六十二校、私立四校の高校があるが、制服廃止は真和志高校が初めて。廃止をめぐっては基準となる服や卒業式だけに着用する式服の導入なども検討されたが、自主性の尊重から全面廃止の結論となった。ただ、自由といっても当然、野放しではなく「高校生らしい、品位と清潔感のある服装」と位置付け、指導していく考えだ。(写真説明)4月から制服が廃止される真和志高校=那覇市真地。(引用ここまで)
千葉県立小金高校、制服を再び導入へ - UNIFOWEB 制服図鑑通信局 2009年5月24日
千葉県松戸市の県立小金高校(堀誠校長)が、志願者離れに歯止めをかけようと、これまで認めていた私服通学を廃止し、制服着用に切り替える。
2011年度の新入生から導入する。近年、特に女子生徒の間で「制服人気」が高まっていることを踏まえたもので、学校改革の一環として方針を打ち出した。(Yahoo!ニュース)
小金高校は、千葉県の第2学区に属する進学校。東葛地区では、柏市の東葛飾高校に次ぐ偏差値をキープしてきました。しかし最近は、めっきり不人気。そこで受験倍率の低下を食い止めるために、一度廃止した制服を再び制定することになった、というニュースです。
いっぽう小金高校の制服廃止は、紛争の時代から20年以上あとのこと。廃止に際しては、やはり生徒たちの積極的な活動があったようですが、その活動の成果は10数年で失われることになりました。…高校紛争という背景を持たずに制服廃止が実現したものの、「女子は制服が好きだから」という理由で、再び制服に袖を通すことになった小金高校。東葛飾高校と服装の自由は一緒でも、その「自由」を手にするまでのプロセスの違いが、こうした結果を生んだのでしょうか。かつて制服廃止に関わった小金高校OBが、この決定を知って何を思うか、気になるところです。(引用ここまで)
そこで、以下のように考えてみました。
民主主義を教える学校が制服を「自由化」しないのは何故か!?
学校の教師も、自衛隊員と同じように、憲法遵守の宣誓をしています。公務員ですから。しかし、です。
1.戦前、戦後以来の慣習など、歴史的経過がある。前例主義・保守主義。
2.「自由化」すると、校内の「無秩序化」「勝手放題化」になるのではないか。
(1)「自由服」では、学校外において、見分けがつかず、指導ができない。
(2)学校外の生徒の素行悪化・非行は、必ず学校に電話がかかってくる!
(3)その都度、指導せざるを得なくなる。中には校外指導をもしなければならない!
3.学校が「無秩序化」すると、学業に集中できない様々な事例が顕著になる。
(1)授業に集中できない、落ち着いた授業ができない。
(2)昔風に言えばヨーラン服装とか、茶髪頭髪とかの指導に力を入れざるを得なくなる。
(3)学力低下が進学・就職実績の低下を招く。
(4)学校の「悪評判」が拡大し、生徒募集が困難になる。
(5)学力の高い生徒より学力の低い生徒の入学が多くなる。悪循環となる。
(6)教師の指導が困難になる。教師の負担は計り知れない!学校の存亡の危機が顕著になる。
4.生徒の学力と家庭の経済力は密接に関連している。
(1)経済力の低い家庭の生徒の学力は低い。これは70年代から言われている!
(2)学校生活に必要な授業料やPTA会費の納入や修学旅行などの積み立てが困難な家庭もあるので、「自由化」は、それらの生徒にとって負担となる。
(3)同じ服を着ている方が「安心」という生徒もいる。
5.一般的には「自由化」した学校は、偏差値の高い学校が多い。
(1)理由は、「自由化」しても、安心して生徒の「自律」心に依拠できる学校。
(2)受験に関心があり、服装や頭髪などに関心を示さない生徒が大勢いる学校。
6.「制服」と言っても「学生服」とは限らない!
(1)ブレザーを「制服」に使用している学校もあります。
(2)ブレザーの方が、学校の人気が出てくる!生徒は制服で学校を選ぶこともある。
(3)最近は、「学生服」より、「ブレザー」の方が多数派ではないでしょうか。
(4)学校としても有名デザインナーなどに制服のデザインを依頼して製作していることもあるようです。
7.民主主義を教える学校が、憲法違反の指導をしなければならないのには、それなりの理由があります。最初に述べたように、学校そのものが、戦前の教育勅語体制を色濃く遺しているからです。事例をあげてみます。
(1)「学生服」の元祖は「軍服」であることは周知の事実です。
(2)そもそも学校の「校舎」は軍隊の「兵舎」と同じです。「登校」「下校」は「登城」の残存です。
(3)かつては「学帽」がありましたが、これは「軍帽」でした。
(4)学校に桜を植えたのも、学帽に桜の徽章を付けたのも、桜の花のように美しく散ることを要求したからです。
(5)「体罰」は軍隊内の体罰(錬成)が元祖です。大阪の事例を見れば明瞭です。
(6)耐寒マラソンにしても、体育祭の棒倒しや借り物競争などは、軍隊内の教育を学校に取り入れたものです。甲子園の入場行進は軍隊行進そのものです。
(7)体育館などで、一同礼をする際に、正面の壁に向かって一礼するのは「御真影」に向かって最敬礼をする残存です。
(8)そもそも国歌「君が代」斉唱・国旗「日の丸」礼拝は、戦前の総括・反省もなきそのものです。
(9)地方公務員法・管理規則で上司の命に背くことを許されていません。絶対服従です。これこそ、戦前の大日本帝国憲法の天皇制絶対主義論の現代版です。
(10)首相を頂点に、文部科学大臣、各都道府県教育委員会教育長、市町村教育委員会教育長、学校長という命令装置を絶対視しているのです。しかし、この間の方針の誤りについては、いずれも責任は、誰も取っていません。
(11)相対評価と偏差値輪切りの教育を野放しにしてきたことをあげなければなりません。これは生徒の生きる力と生きる学力、人格形成にとって大きなゆがみをつくりだす最大の要因でした。
(12)生徒が「わかる」とは何か、「たのしい学校」とは何か、そのためにはどのような教育内容と評価法が必要か、について、教師や学校が、生徒の発達段階を踏まえ、到達状況を分析して、対応するのではなく、決められた教科書の内容を受験のためにこなしていくことに主眼が置かれた学校教育が中心だったのです。
(13)受験競争・受験戦争、塾・予備校通いという言葉に象徴されているように、学校の機能の地盤沈下がつくりだされてきたのです。これが、塾や予備校の教師と比べて公立学校の教師の甘さとしてバッシングされることになり、成果を追い求める教師づくりに貢献していったのです。
8.以上のような学校の歴史を背負った教育内容と、その一部を成している「制服」とその指導について、根本的に改めていくためには、戦前を受け継いだ行政の指導体制を再検討することが、まず第一に考えなければなりません。しかし、このことは、現在の安倍政権の「教育再生」政策と真向から対決することになります。
憲法と旧教育基本法と国際法を活かした教育を!
そのためには、政府も行政も、保護者も、教師も、以下のことについて確認しておくことではないでしょうか。その基本中の基本は、日本国憲法と教育基本法(旧) です。
一つは、首長の権限強化を狙って地方自治の理念を具体化している教育行政の改悪をどのように食い止めていくか。
二つは、道徳教育の教科化など、戦前の教育勅語体制の復活をどのように食い止めていくか。
三つは、学問の成果を否定する教科書検定制度の見直しとその内容をどのように改めていくか。
四つは、教師の定数増・高額授業料など、国際人権規約 などから見れば、最悪最低の教育予算の増額をどのように実現していくか。
五つは、子どもの権利条約やユネスコ「学習権宣言」など、国際社会の到達点をどのように学校現場に具体化していくか。
六つは、そのためにもユネスコ教員の地位に関する勧告の到達点をどのように具体化していくか。
七つは、資料の中にもありましたが、学校内の三者(生徒・保護者・教師)協議会を対等で自由な関係組織として、どのように機能させていくか。
八つは、学校内の運営のなかに、徹底して生徒の声を尊重し、教師を管理の対象として「ほうれんそう」を課すのではなく。
九つには、さらには、進学・就職など、進路について、また部活動などに「成果主義」を取り入れるのではなく、生徒の人格形成と成長・発達を保障するためのサイクル・視点として、「共同」論を土台に、学校と地域と行政が教訓を出し合って子どもの成長に確信が持てるように、ゆとりをもって学校を運営していくかどうか。
以上が、学校現場に日本国憲法を活かしていく視点と内容だと確信するものです。以下、憲法を活かすことの意味を考えて見ました。ご覧ください。
1.これが実現できれば、或いは、実現する過程のなかで、いじめや自殺、体罰など、人権侵害を防止することになると確信するものです。
2.同時に、この営みの具体化のなかでこそ、国際紛争を非軍事的・非暴力的手段で解決できる日本国民が育っていく土台になると確信するものです。
3.これは日本国憲法を指針として人間の根源的な生き方を問いかけるものだと思います。そういう意味で、日本国憲法は絵空事ではなく、極めて実践的な指針を明記した人類的歴史的文書と言えます。この一言一句を読みながら想像力を逞しく働かせ、具体的な問題に当てはめてみていただければ、新しい人間関係の創造、組織の創造、社会の創造が可能になると思います。
以下資料を掲載しておきます。ご覧ください。
高等教育の授業料無償化は国際人権規約の流れ - BLOGOS 2013年8月25日
ユネスコの学習権宣言とは? - 日本共産党中央委員会 2001年5月10日
「教員の地位に関する勧告」とは? - 日本共産党中央委員会 2002年10月16日
主張/こどもの日/権利条約に思いめぐらせる - 日本共産党中央委員会 2004年5月5日
主張/子どもの権利条約20年/政治が推進の立場に立つとき 2009年11月22日
子どもの権利条約 国連採択から十年を迎えて - 日本共産党中央委員会 1999年11月21日
高校·大学無償 留保を撤回/国際人権規約 日本政府が通告 2012年9月14日
国際人権規約/高校·大学の学費無償化条項/留保 日本など2国だけ 2009年6月8日
子どもの権利条約に基づく第3回日本政府報告 及び 日本弁護士連合会 - [PDF] 2008年6月4日