認知症問題、どう考えるか!社会全体の問題であることは当然だが…
認知症に罹ってしまった高齢者が起こしてしまった事件とその裁判の判決に対する社説が書かれました。各社の社説のテーマに視るように、一つは、「みんな」とか「地域」とか、「社会全体」とか、曖昧な表現で対策を訴えていること、二つは、国家の責任の問題として捉えることが弱いこと、三つは、行政の取り組みを強調しているものがあるものの、NPOなどの取り組みに解消していることに、特徴があります。
現在の認知症の問題は、以下の社説で明らかにされた現実と未来の日本国をみると、日本が崩壊していくのではないかと思うほど大変深刻だと思います。一刻も早く対策を講じていく必要があると思います。以下ご覧ください。
現代日本の認知症の実態のひとつ!
沖縄タイムス
厚生労働省は、65歳以上の認知症高齢者は12年時点で、約462万人と推計している。予備軍の軽度認知障害は約400万人に達し、それを含めると、計約862万人に上る。65歳以上の実に4人に1人が該当する「認知症時代」が到来しているといっても過言でない。認知症徘徊に関し、ショッキングなデータがある。警察庁によると、認知症が原因で行方不明になったとして12年に9607人の届け出があった。沖縄県警にも63人。12年中に確認できた人は、それ以前から行方不明になった人を含め9478人。このうち359人は死亡していた。(引用ここまで)
佐賀新聞
国土交通省によると、12年度に全国で発生した鉄道事故は811件で死者は295人。認知症患者の事故統計はないものの、高齢者が踏切などで列車にはねられる事故は県内でも起きている。交通事故を含めて社会的な対応がいる。(引用ここまで)
ここに出されている人数は、恐らく全部ではないでしょう。把握していない無数の国民が係わっているはずです。同時に、この認知症に罹ってしまった人たちには、家族がいるはずです。その数を合わせると、国民の計約862万人という数字は、2倍にすると、いや3倍にすると、いやいや4倍にすると、ホント、マジに「脅威」です。
「認知症」、毎日毎日、ものごとを「認知できない」ことで、様々な問題が発生していることを思うと、想像を絶することが起こっているように思います。
今回の事件の事例のよう老老介護で疲れている人、独り暮らしの認知症の人、親の介護のために退職を余儀なくされている人、働きながら介護に疲れている人、認知症のために退職を余儀なくされている人などなど、事例は、まさに十人十色ではないでしょうか。
認知症患者にどう向き合うか、寄り添うか!国民的課題!
そのなかで、特に、認知症に罹ってしまったご本人こそ、一番の犠牲者というか、苦悩のどん底にいるのではないでしょうか。一般的な「物忘れ」「健忘症」とは違う症状に、戸惑って、悩み、どうしたらよいのか判らず、他人に相談もできないで苦しんでいるのではないでしょうか。また、迫り来る認知症に怯えている人もたくさん居るのではないでしょうか。そのことは家族にも言えるのではないでしょうか。そういう愛国者の邪論も、無関係とは言えない環境にあるのです。
「認知症」、以前は「痴呆」と言っていたようです。それ以前は「精神病」と言っていたのでしょうか。いずれにしても、普通の人間とは違うと、白い目で見て、或いは視られていたというのが、実態だったのではないでしょうか。こうした歴史が、互いに助け合う環境づくりの障害になっているのではないでしょうか。そのことは「認知症」に罹ってしまった人に対する見方考え方にも大きな影響を与えているように思います。それは「認知症」が十人十色だからです。人によって様々だからです。
そうして歴史の経過をみると、また、この間明らかにされてきた数字をみると、その数字だけのバージョンがあると思うのは愛国者の邪論だけでしょうか。だからこそ、全国民的課題だと確信をもって、声を大にして言わねばと思います。
つい最近、さだまさしさんの映画「サクラサク」を観ました。感動しました。詳しくは、別項に譲るにして、一番感動したのは、藤竜也さん演じた認知症に罹ってしまった人の人格をどのように尊重し、寄り添うか、その人の思考回路に沿って、その人の目線にたって、どのように寄り添うか、そこに家族や地域や職場や行政や国家の責任、平たく言えば思いやりをどのように注いでいくか、ということだな思いました。
そうしたことを前提にすると、やはり、一番合意できるのは、日本国憲法です。以下ご覧ください。
認知症と日本国憲法と人間と・・・条文をどのように活かすか!
日本国憲法前文
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
○2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。(引用ここまで)
以上の条文、日本語を認知症に罹ってしまった人とその家族に徹底して当てはめるという考え方です。
それでは、以下の社説をご覧ください。愛国者の邪論が思うには、これらの社説は、憲法の視点、とりわけ、25条に明記された国の責任について、極めて弱く論評していることです。まず「自助」論、その次は「共・協助」論、そして最後に「公助」論と言った思想にもとづいて書かれていると判断せざるを得ないものでした。
毎日新聞 認知症と鉄道事故/みんなの目で守ろう 2014/4/27 4:00
http://mainichi.jp/opinion/news/20140427k0000m070079000c.html
読売新聞 認知症事故判決/介護する側の苦労も考慮した 2014/4/27 2:00
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140426-OYT1T50170.html
日本経済新聞 認知症高齢者を支える仕組みづくり急げ 2014/4/29 4:00
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO70545540Z20C14A4EA1000/
産經新聞 認知症徘徊/常に気遣う街が命を守る 2014/5/6 4:00
http://sankei.jp.msn.com/column/topicslist/../../life/news/140506/trd14050603150021-n1.htm
中日/東京新聞 認知症事故訴訟/介護への影響は甚大だ 2014/4/28 8:00
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014042802000132.html
信濃毎日 徘徊で事故/家族だけの責任でない 2014/4/26 10:05
http://www.shinmai.co.jp/news/20140426/KT140425ETI090007000.php
京都新聞 徘徊と家族責任/社会で見守り担うべき2014/4/27 10:05
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20140427_3.html
神戸新聞 認知症への備え/社会全体で向き合いたい 2014/5/1 0:05
http://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201405/0006922862.shtml
山陽新聞 認知症事故訴訟/地域で支える仕組み急げ 2014/4/30 10:06
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2014043008094830/
徳島新聞 認知症高齢者/地域で見守り支えよう 2014/4/30 10:06
http://www.topics.or.jp/editorial/news/2014/04/news_1398818198121.html
愛媛新聞 認知症事故に賠償命令/安心のネットワークづくりを 2014/4/28 10:06
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201404286477.html
高知新聞 認知症の徘徊/家族と社会で見守りたい 2014/4/26 10:07
http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=319216&nwIW=1&nwVt=knd
西日本新聞 認知症徘徊対策/地域社会の支援も必要だ 2014/5/1 12:00
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/85239
佐賀新聞 認知症事故の賠償/家族に責任を問うのは酷 2014/4/29 8:07
http://www.saga-s.co.jp/news/ronsetu.0.2671624.article.html
熊本日日 認知症徘徊事故/地域で支え合う仕組みを 2014/4/29 10:06
http://kumanichi.com/syasetsu/kiji/20140429001.xhtml
沖縄タイムス認知症徘徊事故/地域で支える仕組みを2014/4/29 6:07
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=68092
関連社説
朝日新聞 特養入居待ち/参入拡大に知恵を絞れ 2014/4/5 4:00
http://www.asahi.com/paper/editorial2.html
東奥日報 在宅介護体制の充実を/特養待機者問題 2014/4/18 10:05
http://www.toonippo.co.jp/shasetsu/sha2014/sha20140418.html
そこで社説に書かれている事件の概要について、まとめてみました。ご覧ください。
事件の概要について、社説から
1.2007年に愛知県で起きた91歳の認知症の男性が列車にはねられて死亡した事件
妻がまどろんでいるわずかの間に、男性は外出し、線路内に立ち入った。
2.JR東海が、電車に遅れが出たとして遺族に遅延損害、振り替え輸送代などの損害賠償を請求し裁判になった。
3.事故当時85歳の妻(現在91)も自らも「要介護1」の認定を受けていた「老老介護」の家庭だった。
4.1審の地裁では、妻には、「夫から目を離さずに見守るのを怠った過失がある」と認定し、離れて暮らす息子の監督責任を合わせ約720万円の賠償を命ずる。
5.2審の高裁は、
(1)「事故は予見できなかった」と判断するものの、徘徊防止のため設置していた出入り口のセンサーを切っていたことを「監督義務者として十分でなかった」とし、事故の責任、監督義務者としての妻の監督責任だけを認め賠償額を約360万円に減額を命ずる。
(2)長男には「20年以上別居しており、監督者にあたらない」とする。
(3)JR東海側に対し、「フェンスが施錠されていれば事故を防げた」「公共交通機関として安全の向上に努めるのは社会的責務」とも述べた。
6.遺族側は「24時間一瞬の隙もなく、認知症高齢者に付き添うのは不可能」と主張していた。
7.JR側は「男性には資産もあり、ヘルパーを頼むなど防止措置はとれたはず」と過失を指摘していた。
この裁判に対して各紙の主な評価は以下のとおりです
産経 自らも人の助けを必要とする被告への厳しい判決
読売 認知症になっても自宅で暮らせる体制をどう築くか。重い課題を突きつける判決…鉄道各社は重く受け止めてもらいたい。
毎日 名古屋高裁の判決を無慈悲と思う人は多いのではないか。家族にばかり介護負担を求められる時代ではない。…鉄道会社にも安全向上の社会的責任を求めるのは当然だろう。
中日・東京 認知症が急増する社会に沿った判断か。公的な賠償制度も検討すべきだ。家族側に全面的賠償を命じた一審の判断は適正か。介護現場の注目を集めた裁判
日経 急増する認知症の人たちをどう見守っていけばいいのか。認知症をめぐる厳しい現状や課題を、浮き彫りにする判決…名古屋高裁の判決は、鉄道会社に対しても注文をつけた。
信濃毎日 介護関係者からは「高齢者を閉じ込めろというのか」「在宅介護の放棄につながる」といった批判の声が上がっている。
京都新聞 老老介護であっても、配偶者に重い責任を課した判決…判決が、認知症の人が安心して暮らせるよう社会で支え合う流れを萎縮させないか心配
神戸新聞 認知症の人の行動に家族はどこまで責任を負わねばならないのか。考え込まずにいられない。「認知症の人と家族の会」(本部・京都)が反発するのは分かる。判決が前例になり、多くの家族が在宅介護をためらうようになりかねない。施設にとっても気の重い判決だろう…家族の負担を和らげ、認知症になっても安心な社会に近づくにはどうすればいいか。判決から、超高齢社会を迎える教訓を引き出したい。
山陽新聞 徘徊中の事故の責任をどこまで家族が負わされるのか。認知症をめぐる厳しい現状や課題を浮き彫りにする判決
徳島新聞 判決にやりきれない思いを抱いた人は多いだろう。…認知症の人の徘徊をどう防げばいいのか。家族はどこまで責任を負わなければならないのか。判決が投げかけた問題は切実で、深刻なものだ
愛媛新聞 やきれない思いが募る。…判決で、在宅介護をためらう風潮が生まれることが気掛かりだ。高齢者施設でも、徘徊予防に常時施錠している所が多いが、職員が責任を問われる心配から、さらに自由を奪ってしまう恐れもある。高齢者の尊厳が失われる事態は避けなければならない。
高知新聞 法的にはそうかもしれないが、介護保険による福祉サービスの時間を除き、患者の行動を常に把握することが高齢の家族にできるだろうか。一、二審とも家族の責任を認めた判決に介護関係者からは「患者が家に閉じ込められる恐れがある」との懸念が出ている。老老介護が増える中、万が一を考えて患者との外出を迷う家族は少なくないかもしれない
西日本新聞 家族に監督責任があることは否定しない。ただ、高齢者世帯が増えている現実を考えれば、家族に全責任を負わせるだけでは問題は解決しまい。
佐賀新聞 認知症の男性には責任能力がなく、判決は監督者の法的責任を認めた。法律論では正しくても、老老介護の実態からは釈然としない思いが残る結論…自宅で懸命に介護してきた人が家族を事故でなくした上、多額の賠償を負わされるのは酷である。介護の専門家から「家族は精いっぱいやっているという実態を抜きにした判決」と憤る声が出るのも当然…鉄道会社の社会的責任として、ホームや踏切などの安全対策を向上させると同時に、認知症について学ぶことも必要
沖縄タイムス 判決は「男性が通常通っていた事務所入り口のセンサーを作動させなかった」と妻を非難したが、とても納得できるものではない。…認知症の介護で24時間片時も目を離さず見守るのは不可能だ。そうするには部屋に閉じ込めるしかない。介護施設でも責任を恐れ、同じ措置をとるようになるだろう。(引用ここまで)
つづく