以下の記事が、拡散して、イロイロな議論が渦巻いています。そこで検証することにしました。
【共同通信】 修学旅行生が長崎被爆者に暴言 横浜の中3男子生徒数人 06/07 13:00
修学旅行で5月に長崎を訪れた横浜市の公立中3年の男子生徒数人が、爆心地周辺を案内していた被爆者で語り部の森口貢さん(77)に「死に損ない」などの暴言を吐き、森口さんが学校に抗議していたことが7日、分かった。森口さんによると、被爆者らが5月27日、3年生119人をグループに分け、爆心地周辺の被爆遺構を案内。森口さんが山里小学校で説明し始めたところ、グループから離れて行動していた数人の生徒が「死に損ないのくそじじい」と大声で叫んだ。森口さんは注意したが、この数人は周りの生徒にも「拍手しろ」などと言って妨害、暴言を続けたという。(引用ここまで)
次に同様の内容の記事が掲載されました。
【西日本新聞】 修学旅行生が長崎被爆者に暴言 横浜の中3男子生徒数人 06/07 19:46
次に現地被爆地ナガサキで、以下の記事が、掲載されました。
長崎新聞 県内トピックス修学旅行生が被爆者に暴言 (2014年6月9日更新)
5月に修学旅行で長崎市を訪れた横浜市の公立中の3年生が被爆遺構巡りの最中、案内していた被爆者で「長崎の証言の会」事務局長、森口貢さん(77)に「死に損ない」などと暴言を吐いていたことが7日分かった。校長は長崎新聞の取材に「許される言葉ではなく大変申し訳ない。どれだけ心ない言葉を発したか、反省を促す」と語った。森口さんや学校によると3年生119人は5月27日、平和公園から九つの班に分かれ出発。森口さんが10人ほどの生徒を山里小に案内した際、別行動していた男子生徒5人が「死に損ないのくそじじい」と大声を上げた。注意したが、「拍手」と周囲に手をたたくよう求めるなど説明の妨害を続けたという。森口さんは翌日、経緯などを手紙に書いて学校側に郵送。今月3日に電話すると、校長から口頭で謝罪を受けた。生徒は学校側に、平和公園で生徒1人が森口さんから「話を聞かないなら出て行け」と態度の悪さを注意され、反発したと説明。学校側は、生徒の感想文と校長の謝罪文を森口さんに送る考え。森口さんは「戦争や核兵器の悲惨さを若い世代に伝えたいとの思いで活動している。向き合ってもらえなかったことは悲しい」と話した。(引用ここまで)
次に以下の記事をご覧ください。結構、経緯が詳しく報道されました。
長崎の被爆者に「死に損ない」横浜の公立中学生 | ニュース速報Japan 2014/6/7 16:52 最終更新■
2014年5月27日、修学旅行で長崎県を訪れた神奈川県横浜市の公立中学3年生の男子生徒ら数人が、被爆者に対して「死に損ない(しにぞこない)」などととんでもない暴言を吐いていたことが、6月7日になり分かりました。発表によると5月27日、中学校3年生119人をグループ分けし、被爆者らが案内人をして爆心地周辺の被爆遺構を見て回っていたとのこと。そして被爆者で語り部の森口貢さん(77)が、爆心地から600mほどの位置にある山里小学校で、案内していた10人ほどの中学生グループに対して原爆で多くの児童が死亡した話を始めようとしたところ、この班とは別行動をしていたはずの少年ら5人が近付いてきて、うち数人が「死に損ないのクソじじい」と大声で叫んだといいます。森口貢さんは少年らを注意しましたが、少年らはさらに続けざまに「笑え」「拍手しろ」などと周りの生徒らに指示し、妨害や暴言を続けました。男性教諭も注意したものの暴言は止まらず、山里小学校での案内は出来ずに終わったと言います。自分たちが所属しているグループから離れて行動していたこと、周りの生徒らが制止しなかったことなどを考慮すると、不良少年(DQNなどとも言われる)だったものと推測されます。森口貢さんは翌5月28日になり、生徒らが通う中学校の校長に手紙を送り抗議したということです。しかし返信が無かったことから、6月3日になり直接学校側に電話をかけたところ、校長が「大変申し訳ない」などと謝罪したとのこと。現時点で、この学校が横浜市のどの公立中学なのかは分かっていません。森口貢さんは取材に対して「こんな経験は初めて。とても悲しいことでした。被爆者の方々にも申し訳なく、辛い時間でした。被爆から69年もの月日が経ち、戦争や原爆を他人事と感じているのだろうか」と話しました。(引用ここまで)
朝日 修学旅行生5人、長崎の被爆者に暴言 横浜の中学校謝罪 2014年6月8日00時17分http://www.asahi.com/articles/ASG673RG9G67TOLB001.html
長崎原爆で被爆し、語り部として活動している森口貢(みつぎ)さん(77)=長崎市=が5月、修学旅行で同市を訪れた横浜市の公立中学校3年生の男子生徒5人から、「死に損ない」などと暴言を吐かれていたことが分かった。森口さんは学校に抗議し、校長が電話で謝罪した。被爆者団体は「生徒たちに学ぼうという気持ちが足りない」と嘆いている。
森口さんや学校によると、3年生119人が5月27日に長崎市を訪れ、森口さんが所属する「長崎の証言の会」の9人が班ごとに被爆遺構を案内した。
森口さんは10人ほどを爆心地から600メートルほどの山里小学校へ案内。話を始めようとした際、別行動をしていた男子生徒5人が近づき、「死に損ないのくそじじい」と大声を上げ、周りの生徒に向けて「笑え」「手をたたけ」などと言ったという。
森口さんは翌日、「多くの被爆者の方に申し訳なく、つらい時間でした」と記した手紙を校長に郵送。今月3日に学校へ電話すると、校長から「すみませんでした」と謝罪されたという。校長は取材に、暴言の前に森口さんが、態度が悪い男子生徒1人に「出て行け」と言って叱った経緯があったと説明。「(暴言は)逆恨みをして言ったのだろうが、許される言葉ではなく反省を促したい」と話した。今後、生徒の感想文と校長の謝罪文を送るという。
森口さんは原爆投下後に長崎市中心部に入り、入市被爆をした。小学校教諭を退職後、1998年から被爆遺構の案内や講話をしている。現在は長崎の証言の会事務局長。森口さんは「こんな経験は初めて。被爆69年となり、戦争や原爆をひとごとと感じているのだろうか。本気で向き合ってもらえなかったことが悔しく、悲しい」と話した。
長崎原爆被災者協議会の山田拓民事務局長は「自ら学ぼうという気持ちが足りなかったのでは。事前学習を含めた学ぶ姿勢が大切」と話す。被災協は修学旅行生らに年間600回ほど証言活動をしている。集中しない生徒はいても、邪魔されたことはないという。
ただ、1997年には長崎市の被爆者の男性(当時65)が被爆体験の一人芝居の上演中、修学旅行の中学生からやじられたり、キャンディーを投げつけられたりするトラブルがあった。
今回の問題について男性の妻(79)は「やってしまった後が大切」と話す。男性のケースでは生徒数十人が謝りに来て、男性は「水に流そう。人の痛みの分かる人になって下さい」と応じた。その後、生徒たちの生活態度が改まったと聞き、救われたという。「生徒たちがしっかり反省し、気持ちを森口さんに伝えることが大切」と指摘した。(山本恭介、岡田将平)(引用ここまで)
以下は、この「事件」に対する「評価」をくだしているブログです。ご覧ください。
真実を探すブログ 「死に損ないのくそじじい」と暴言!被爆者の森口さん - Posted on 2014/06/08 Sun. 20:00:35
ところが、この記事について、以下のような記事が書かれるようになってきました。発信源は?
「死に損ないのくそじじい」と言われる前に暴言を吐いていた!!! 2014/6/9(月) 午前 10:11
長崎語り部に「死に損ない」修学旅行の横浜の中3生・語り部の森口貢はエセ被爆者の反日糞爺だったhttp://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5474.html
長崎で修学旅行生が被爆者森口貢に暴言吐いた事件の 真 相 が 酷 す ぎ た !!! 朝日新聞がまた捏造をやらかしていたことも発覚!!!2014.06.09 http://www.news-us.jp/article/399054244.html
森口さんについて、以下をご覧ください。
森口 貢 男 8歳
(もりぐち みつぎ)1945年7月末から8月初め、家近くの造船所が激しい爆撃を受けた。避難した防空壕近くでも爆発した。ここは危ないとして6年生の姉と1年の弟と3年だった私、子ども3人を母は連れて、8月4日佐賀の田舎に疎開した。5日後原爆が投下された。父の工場は消失し、姉兄は学徒動員中だったが、奇跡的に生き延び、引き返した母と共に私達の所に戻ってきた。20日爆心地を抜けて長崎に戻った。戦争は本当に怖い。平和は尊い。(引用ここまで)
愛国者の邪論の意見は、次に掲載します。