憲法9条のノーベル賞受賞に怯えた産経が、国民と世界を愚ろうする!
いつものことですが、産経がまたまたウソとデマ、スリカエの「主張」を掲載しました。こうしたデマとスリカエ、大ウソは、その場で批判していく必要がありますので、この記事のみについて、検証することにしました。最初の赤文字が「主張」です。
産經新聞 憲法9条/平和はだれが守るのか ノーベル賞騒ぎは何だった 2014/10/19 6:00
http://www.sankei.com/column/newslist/../../column/news/141019/clm1410190002-n1.html
1.戦後日本の平和と安全は、憲法9条によって守られてきたのではない。当たり前のことを言わねばならないのは「平和憲法」によってのみ安全が保たれたかのような錯覚に、国民や他国の一部が陥っているようにみえるからだ。
愛国者の邪論 まず、産経が言う「『平和憲法』によってのみ」論です。産経は、「平和憲法」によって「戦後日本の平和と安全」が「保たれた」ことを認めています。これは、驚きでした。認めざるを得ないということです。しかし、「のみ」としていることは、他の要素もあったということを強調しているのです。日米軍事同盟と自衛隊と言いたいのです。しかし、ここで産経が述べている日本語は、国民世論に背を向ける大きな錯覚をしているのだということを強調しておかなければなりません。
それは、「錯覚に、国民や他国の一部が陥っているようにみえるからだ」という思想です。「他国や他国の一部」が憲法9条を評価していることを「錯覚」としたことです。「錯覚」しているのは産経自身です。それは憲法9条の思想がどのような歴史的経過の中で形成され、それが戦後国際政治と安全保障政策の中で、どのように活かされてきたか、そのことに目を瞑ってみようとしない産経の思想を浮き彫りにしたと言えます。
2.今年のノーベル平和賞の候補として憲法9条が取り沙汰された。しかし、いま目を向けるべきは、在日米軍と自衛隊を担い手とする日米安保体制による抑止力が機能していたからこそ、戦後、他国との武力衝突が一度もなかったという冷厳な現実である。
「他国との武力衝突が一度もなかった」のは、「在日米軍と自衛隊を担い手とする日米安保体制による抑止力が」あったからというのは大ウソとスリカエ、デマです。このようなウソを振りまくのは、そろそろやめた方が良いということを強調したいと思います。
まず、「他国との武力衝突」の「他国」とは、どこの国のことか、語っていません。恐らくソ連のことでしょう。しかし、これも米ソ対立という「冷戦」の中において、「ソ連が攻めてくる」論が日米軍事同盟を正当化するゴマカシであったことは、今日の日露関係を観れば一目瞭然です。
それは、「ソ連が日本に攻めてくる」という場合のソ連の側のメリットは何か、何のために日本に攻めてくるのか、産経は、このことを明らかにしなければなりません。ただやみくもにソ連が日本に攻めてくるなどという幼稚なことを言っているのです。恥ずかしくないのか!
ある国が戦争を、或は武力行使をする場合は、それなりの大義名分がなければ、国際社会においても、自国民に対しても、説明がつかないことは、政治・外交・安全保障を観れば明らかです。このことは、あの侵略戦争であった大東亜戦争であっても同じです。「ABCD包囲網」論、「大東亜共栄圏」論、「鬼畜米英」論、「自存自衛」論、「満蒙生命線」論を振りかざして、あの戦争の惨禍をつくりだしたことを産経は忘れたというのでしょうか。
その視点をそのままソ連に当てはめると、「ソ連が攻めてくる」論の場合、どのような戦争目的があったか、産経は説明すべきです。それでも「在日米軍と自衛隊を担い手とする日米安保体制による抑止力」があったから、日本がソ連に攻められなかったというべきでしょうか?実際は違っていました。日本を攻めてくる必要など、なかったというべきです。
3.≪多くの問題点をはらむ≫「平和憲法で平和が保てるのなら、台風の日本上陸禁止も憲法に書いてもらえば安心して寝られる」と、皮肉を込めて憲法の欠陥を喝破した碩学(せきがく)の田中美知太郎の言葉を改めてかみしめよう。
産経の「碩学」とは、この程度かと、改めて大爆笑してしまいました。そもそも「憲法で平和が保てる」という設定そのものが誤りです。国家による戦争を放棄した日本が、国際紛争を解決する手段として持つべきものは軍事力ではなく、平和のための外交力と経済・文化交流などということは常識中の常識だったはずです。これこそが「武力・軍事抑止力」論に立つのではなく、「非軍事・非暴力の安全保障」論に立つ国是であったはずです。
このことは佐藤政策首相が、今日においては偽造・偽造であった「非核三原則」を国是としたことをもってノーベル平和賞を受賞したことに象徴的です。唯一の戦争核兵器被投下国として、非核三原則を掲げたことの意味は、その後の世界各地に広がった非核地帯条約を観れば明らかです。
産経は、こうした歴史の事実を黙殺して、「碩学」の「皮肉を込め」た「言葉」を、いつものように相手を貶める時に使う手口として引用して、自分の思想を正当化し、憲法9条を台風と重ねて誹謗中傷をするのです。
それでは、その「碩学」のレベルで言えば、「台風の日本上陸禁止」などと書かなくとも、事前の台風情報を科学的なもの、ち密なものにすることで、事前の備えを強化していく、このことの方が台風の「脅威」に対する常識的な備え、考え方であることは子どもで判ることです。自然の驚異に対して、わざわざ「禁止」などという非科学的なことを持ち出すことなど、「皮肉」「揶揄」であったとしてもありえないことも常識中の常識です。
と同じように、他国が日本を攻めてくるという場合、台風と同じように、どのような規模で、どのような経路をもって攻めてくるかということは、事前に判ることです。突然大軍が日本に押し寄せてくるなどということがないことは、およそ歴史を勉強したものであれば、常識中の常識です。例えば、元軍についても、その情報は事前にもたらされていましたし、ペリーの来航についても、事前に察知していたことです。知らなかったのは、多くの庶民であって、幕府は事前に察知していたことは、常識中の常識です。寧ろ、突然謀略的に攻撃するのは、日本であり、アメリカであることは、ベトナム戦争のトンキン湾事件を観れば明らかです。
というように、台風の「脅威」に対しても、ソ連の「脅威」に対しても、事前に察知できれば、それに対応した措置は可能だということです。それは非軍事的措置で十分だということです。ソ連の日本攻撃の戦争目的すら明確でない武力侵攻を「脅威」として煽り、日米軍事同盟と自衛隊の軍事強化に利用してきた日米両政府と、産経などメディアのデマこそ問題にしなければなりません。何故か。
侵略戦争の反省の上に制定された国際公約である国家の最高法規である日本国憲法を貶め、同時に国民の血税をアメリカ軍と自衛隊の軍備増強に使っていることを免罪しているからです。因みに在日米軍は日本の防衛のために配備されているのではないことはアメリカの高官が明らかにしているところです。同時に在日米軍が、ソ連との戦争の「抑止力」という言葉を口実にしながら、ベトナム・インドシナ人民を殺戮したこと、彼らの財産を奪ったことについて、産経はどのように説明するのでしょうか。全くデタラメと言わなければなりません。
更に言えば、日本国民の安全を守るための在日米軍が、どれだけの日本人を殺し、安全な生活を脅かしているのか、そのことを産経はどのように正当化するのでしょうか。
4.9条を含めた現行憲法は、多くの問題点をはらんでいる。産経新聞が昨年4月にまとめた「国民の憲法」要綱は、守るべき価値観として、天皇に加え、国民主権、平和主義、基本的人権などを挙げた。平和主義については、これまでのような「消極的平和主義」ではなく、「積極的平和主義」への転換を打ち出した。有事に備えて国防の軍を保持することも明示した。これらは国民の平和な暮らしを守る備えを万全にする方策だ。条文にとらわれるより、よりよき日本にすることの方が憲法の精神を生かす。備えの具現化に力を尽くしていきたい。
「条文にとらわれ」て、詭弁を弄したのは安倍首相の「積極的平和主義」ではなかったのか。そもそも憲法9条を「三要件」なるもので、違憲の自衛隊を「正当化」したのは、産経など、日米軍事同盟容認派であり自衛隊合憲派ではなかったのか!ここに、ゴマカシと大ウソが浮き彫りになるのです。
そして、その三要件をさらに「条文にとらわれ」て詭弁を弄して「新三要件」なるものを捻出させたのは偽装・偽造の「積極的平和主義」派ではなかったのか!さらに言えば、このデタラメを取り繕うために持ち出したのは、伊達違憲判決に驚愕して日米両政府と最高裁長官の国家主権と国民主権、司法の独立を否定した憲法違反の砂川判決ではなかったのか。そもそも、この砂川判決は自衛隊の合憲か違憲かどうかを争ったものでないことは産経でも判るというものです。それすら偽装・偽造して「新三要件」なるものを偽造したことを産経はどのように説明するのでしょうか。
ここに戦前、「鬼畜米英」論を唱えて大東亜戦争を正当化し、違法な戦争に突き進んでいった戦争犯罪人を擁護し免罪する産経の退廃が浮き彫りになるのです。それは戦後においては、戦前と真逆のアメリカ観になっていることは証明しています。1945年までは「鬼畜米英」論を吹聴して国民を戦争に駆り立てていた政府が、1954年には憲法違反と断罪された米軍を日米両政府と最高裁が合作して合憲にすり替えたのです。たった9年の間に、瞬く間に思想を180度転換したことを産経はどのように国民に説明するのでしょうか?
5.この際、憲法をもっとよく知るべきだ。この憲法は、日本が米国に敵対しないように意図されたことに問題の出発点がある。占領下の昭和21年、連合国軍総司令部(GHQ)スタッフがわずか1週間で原案を作成し、日本側に押し付けた。占領者は占領地の法律を尊重することを定めたハーグ条約(陸戦法規、1907年)の明白な違反であった。日本の伝統的価値観を知らないGHQ作成のため、国家観や家族観も欠落した。
産経は、「日本が米国に敵対しないように意図された」憲法を日米軍事同盟の上に置くということをどのように説明するのか、全く理解できない思考回路です。
「連合国軍総司令部(GHQ)スタッフがわずか1週間で原案を作成し、日本側に押し付けた」という憲法を制定させた責任者であるマッカーサーに、その帰国にあたって衆参国会で感謝決議を上げ、羽田まで、その沿道を埋め尽くした国民がいたのは何故か。産経は説明すべきです。
「占領者は占領地の法律を尊重することを定めたハーグ条約(陸戦法規、1907年)の明白な違反であった」というのであれば、米軍基地は返還されなければなりません。産経はいつから沖縄の米軍基地撤廃論者になったのでしょうか。
産経は、「日本の伝統的価値観を知らないGHQ作成のため、国家観や家族観も欠落した」憲法を変えていくために「昨年4月にまとめた『国民の憲法』要綱は、守るべき価値観として、天皇に加え、国民主権、平和主義、基本的人権などを挙げた」としています。しかし、産経自身の言葉を使えば、天皇の何を「守るべき」のか、天皇自身が憲法遵守を明確にしていること、更に言えば、1946年11月3日、天皇自身が、現行憲法公布式において、高らかに憲法の公布を宣言していることを、産経はどのように説明するのでしょうか?全く支離滅裂・ご都合主義の思想と論理展開といわなければなりません。
6.9条へのノーベル平和賞授与を関係団体は来年も申請する構えだというが、日本の実態は自国の平和を他国に委ね、国際紛争を傍観してきたといえないか。受け身で他者依存、さらには危険から逃げ回ってきた戦後の消極的平和主義は限界に達している。前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」安全と生存を保持できないのは明らかだ。
「日本の実態は自国の平和を他国に委ね、国際紛争を傍観してきたといえないか」というのも、大ウソです。この言葉が事実であるとするならば、それは前後自民党政権が、日米軍事同盟に依存して憲法を軽視、ないがしろにしてきたからです。
「国際紛争を傍観していた」というのも、大ウソです。産経をはじめ日米軍事同盟容認派は、憲法の平和主義を捻じ曲げて、「国際貢献」という言葉を使って、自衛隊の「海外派兵」を、産経や日米軍事同盟容認派は「海外派遣」として称賛・推進してきたではありませんか。自らが推進してきたことを、自衛隊の海外における武力行使を容認させるために、今度は否定するなどと黒を白とゴマカス手口は、真実を旨とするジャーナリズム精神に悖るもの、暴挙と言えます。良くもこのようなことが平気で言えるか、全く呆れるばかりか、これは新聞の体をなしていないと言っておきましょう。
「戦後の消極的平和主義は限界に達している」というのも大ウソです。今や国際紛争は軍事的手段で解決するのではなく平和的手段で解決するというのは、国際的常識です。産経は、国際紛争を軍事的手段で解決していない19世紀の時代の思想を持った新聞として21世紀の生きている化石と言えます。
7.これらを正すという安倍晋三政権による集団的自衛権の行使容認の閣議決定を重ねて支持する。9条の基本理念は積極的平和主義にある。それは9条冒頭の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」との文言と、前文の「恒久の平和を念願」「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ」「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」が示している。
これも、ゴマカシ、軍事的手段を正当化するための詭弁です。産経が引用しなかった部分を再度強調しておきます。それは憲法9条は、国際紛争を解決する手段として、国家による戦争、武力行使、武力による威嚇=脅し=軍事抑止力は永久に放棄したこと、そのことは、別の言い方をすれば、国際紛争を解決する手段として何を使うか。それは対話と交流、非軍事的手段=平和的手段を使うということを国際公約したのです。だから国連に加入する時、このことを再確認したのです。そこで、産経が使っている憲法前文について、理念を別の角度から説明してみたいと思います。
日本国民は、
(1)「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて」、
(2)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と、その決意を述べています。
だから、
(3)「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる」「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ」と、それまでの誤った国家運営を反省してして、更にその決意の中身を具体的に述べたのです。
そして、産経や安倍首相のいう「積極的平和主義」を以下のように、憲法は表現・説明したのです。
(4)「われら(日本国民)は、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と。そのためには、
(5)「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」と宣言したのです。これこそが、平和主義と国際協調主義の法則を述べた部分です。この法則に依拠して、国際紛争の解決を非軍事的手段で、平和的手段で、非暴力的手段で解決すると国際公約したのです。産経の大ウソ、スリカエ、デタラメ、ゴマカシは明瞭です。
7.<放棄したのは侵略戦争>戦争放棄も侵略戦争を放棄した意味だ。9条1項の戦争放棄の対象は「国際紛争を解決する手段として」としているが、この文言は不戦条約(戦争放棄に関する条約、1928年)にも存在している。自衛戦争を排除するものでないことは国際合意でもあった。
吉田首相が、共産党の野坂参三議員に答えたことを産経は忘れたのでしょうか。また文部省がつくった教科書『あたらしい憲法のはなし』は忘れたのでしょうか。http://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html
ここに産経のご都合主義が浮き彫りになります。
「不戦条約=パリ不戦条約」その名称は、「戰爭抛棄に關する條約」です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%88%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19280827.T1J.html
この条約に違反して起こしたのが、「満州事変」「上海事変」「北支事変」という名の「戦争」でした。これが発展してマレー・真珠湾奇襲攻撃が行われたのです。これが、いわゆる「太平洋戦争」ですが、これは「自存自衛」論に基づく「自衛戦争」であったとするのが産経の立場なはずです。こうした「自衛戦争」が、「政府の行為によって」引き起こされた「戦争の惨禍」であったからこそ、9条が制定されたのでした。
「この(9条第1項の)文言は不戦条約(戦争放棄に関する条約、1928年)にも存在している。自衛戦争を排除するものでないことは国際合意でもあった」からこそ、憲法9条は「放棄したのは侵略戦争」であって「自衛戦争を排除するものでないことは国際合意でもあった」というのは説明になっていません。「不戦条約」の履行にあたって、「自衛戦争を排除するものでないことは国際合意でもあった」ことと同じ「文言」が「存在している」憲法9条が「自衛戦争を排除するものでない」かどうか、それは別の問題です。そこで確認しておきます。
不戦条約は、
人類ノ福祉ヲ増進スヘキ其ノ嚴肅ナル責務ヲ深ク感銘シ
其ノ人民間ニ現存スル平和及友好ノ關係ヲ永久ナラシメンカ爲國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ卒直ニ抛棄スヘキ時機ノ到來セルコトヲ確信シ
其ノ相互關係ニ於ケル一切ノ變更ハ平和的手段ニ依リテノミ之ヲ求ムヘク又平和的ニシテ秩序アル手續ノ結果タルヘキコト及今後戰爭ニ訴ヘテ國家ノ利益ヲ増進セントスル署名國ハ本條約ノ供與スル利益ヲ拒否セラルヘキモノナルコトヲ確信シ
其ノ範例ニ促サレ世界ノ他ノ一切ノ國カ此ノ人道的努力ニ參加シ且本條約ノ實施後速ニ之ニ加入スルコトニ依リテ其ノ人民ヲシテ本條約ノ規定スル恩澤ニ浴セシメ以テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ノ共同抛棄ニ世界ノ文明諸國ヲ結合センコトヲ希望シ
以下の条文を締結したのです。
第一條 締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス
第二條 締約國ハ相互間ニ起ルコトアルヘキ一切ノ紛爭又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハス平和的手段ニ依ルノ外之カ處理又ハ解決ヲ求メサルコトヲ約ス (引用ここまで)
このような国際合意がなされたにもかかわらず、ドイツやイタリア、日本などの枢軸国側=三国同盟国が「自衛戦争」の名において戦争を仕掛けてきたことを反省して制定されたのが国連憲章であり、その後の、この憲章を受けた形で、天皇制の存続と引き換えに、また「日本が米国に敵対しないように意図されたこと」を踏まえて、更に言えば、明治自由民権の私擬憲法の伝統を踏まえて、また世界の戦争に対する拒否感などを含めて日本国憲法とその平和主義が制定されたのです。産経は、こうした歴史を偽装・偽造する暴挙に出ているといわなければなりません。
8.現実離れしているのは「陸海空軍その他の戦力」不保持条項だ。「前項の目的を達するため」が国会審議中に挿入された結果、禁止されているのは侵略戦争であり、自衛戦争と侵略を制裁する集団安全保障措置は対象にならないとの有力な憲法解釈があったが、政府はこれを受け入れなかった。受け入れられていれば、自衛隊違憲論議などの不毛な論争は存在しなかっただろう。だが現実は、他国の武力行使との一体化は憲法上、許されないとの解釈で国際社会の共同行動への参加をしばしば逡巡(しゅんじゅん)してきた。
これこそが、憲法9条の「威力」であることを産経自身が認めたことを示している証拠です。同時に、立法改憲が不可能と認めた戦後自民党は、9条下にあっても違憲の自衛隊を認知させるために様々な既成事実化を謀ってきました。「解釈改憲」です。
それは自衛隊に入れば免許が取れるなど、様々な特典論。災害救助に活躍することで軍隊ではない自衛隊をアピールする。各地で自衛隊祭りを利用して地域に自衛隊を普通の国家公務員として認知させる。自衛隊体育学校などから様々な種目や大会、特にオリンピックに自衛官がスポーツ選手として出場することでスポーツも仕事であることを国民に広げる。また国連PKOや災害救助などへの参加によって国際貢献部隊として認知させるなどなど、「戦力」でも、もちろん「軍隊」でない「自衛隊」として認知させるために苦心をしてきたのです。こうして、今や自衛隊は国民の中に軍隊ではないイメージが作られ、そのことで自衛隊の認知度が100%に近い支持を得るようになったのです。しかし、そこに、実は落とし穴があるのです。
安倍内閣の意見の閣議決定は、それまで「軍隊でない自衛隊」として認知させてきた「自衛隊」が、海外で日本の防衛に関係ない「他国の戦争」に協力する、加担することで「武力行使をする」ことになる、当然「戦死者」が出てくるという段階に入ったのです。だからこそ、多くの国民の支持を得ていくためには、産経のような暴論・暴挙が、また国民に向かって当然のように平気でウソをついて、ゴマカシの日本語をちりばめるのです。ここに大きな落とし穴があるのです。今まで自分が良しとしてきたことが、これからやることで、ヨシとしてきたことを否定しなければならないのです。Aは◉だったのが、Bをやるために、今まで◉だったAを否定しなければならないのです。国民にウソをつくのですね。
そこで、産経は、「『前項の目的を達するため』が国会審議中に挿入された結果、禁止されているのは侵略戦争であり、自衛戦争と侵略を制裁する集団安全保障措置は対象にならないとの有力な憲法解釈があった」という、これまた大ウソを吐いていますので、以下の資料を掲載して、産経ノデタラメを暴いておきます。全く酷い新聞です。平気でウソをつくのですから。呆れます。
安倍政権の“解釈改憲”国民だましの全過程 2014年6月30日(月) http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-06-30/2014063003_02_1.html
平成24年2月7日 - 枝野経済産業大臣の閣議後大臣記者会見の概要 ..2012年2月7日 http://search.nifty.com/websearch/search?cflg=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&select=93&chartype=&lang_all=&q=%E8%8A%A6%E7%94%B0%E4%BF%AE%E6%AD%A3&xargs=&web.Unique=doc%2Chost+2&web.Format=&stpos=80&num=10
安保法制懇報告書を読む (終章) - 弁護士深草徹の徒然日記 2014年5月27日 http://tofuka01.blog.fc2.com/blog-entry-94.html
いま、思うこと10 of 島燈社(TOTOSHA) - TOP= of 島燈社(TOTOSHA 2013年8月24日 http://www.a-totosha.com/cn44/imaomou10.html
古関彰一「日本国憲法の誕生」岩波現代文庫、2009年 2012年4月22日 (日) http://nodahiroo.air-nifty.com/sizukanahi/2012/04/2009-c6fd.html
古関彰一『「平和国家」日本の再検討』(岩波現代文庫13年12月刊)
「前項のと言うのは、実は(一項、二項)双方ともに国際平和ということを念願して居るということを書きたいけれども、重複するような嫌いがあるから、全校の目的を達するためと書いたので、詰まり(一項、二項)両方共に日本国民の平和的希求の念願から出て居るのだ、斯う言う風に以って行くに過ぎなかった」(「第90回帝国議会衆議院帝国憲法改正小委員会速記録」194頁)
いわゆる「芦田修正」は、自衛戦力を合憲とする根拠のひとつであり続けてきた芦田自身の証言とは異なるもので、1956年の芦田証言が根拠のないものであることが判明したのである。(引用ここまで)
9.直視すべきは、これからの平和をいかにして守るかだ。戦後70年近く続いた平和を大切にしたい思いは尊重したいが、祈りだけでは国は守れない。憲法改正が党是の自民党内からも、9条がノーベル平和賞の受賞候補になったことに、「誇りに思う」などの声が出た。憲法改正をどう進めるというのだろう。要は、日本の守りに欠かせぬ抑止力を強め、国際の平和と安全のためになすべきことを実行する。よりよき9条にすることが世界から促されている。
誰も「祈りだけでは国は守れ」るなどとは言っていません。産経特有の曲解、大ウソです。平和を維持し戦争を防止するためには何が必要か。憲法9条と憲法を活かす政治を具体化していくことです。そのためには安倍政権は大きな障害と言えます。産経新聞のようなウソを書く新聞も不要です。そうではなく憲法を活かす記事を書く新聞こそが、国民が求めている新聞と言えるのです。
「要は、日本の守りに欠かせぬ抑止力」とは、憲法9条が放棄した国家による武力による威嚇、武力行使、戦争ではなく、産経の主張とは真逆の非軍事的手段を使った抑止力の向上を国民的議論で具体化していくことです。そのことこそが「よりよき9条にすること」になり、「世界から促されている」こと、これこそが「積極的平和主義」と言えるのです。産経とは、その点で真っ向違っているということです。