戦後自民党政権を支えたのは「事実誤認報道」だったな!
情報伝達手段であるマスメディアの責任は大きい!
以下の記事に対して下記のコメントが寄せられました。愛国者の邪論は、「事実誤認だらけだ」と思います。明智 小五郎は、そのようには思っていないと思いますが、まさに、その名に恥じないように、明智小五郎さんの指摘している事がらの解明をしていただければ、と思います。
自共対決から自共共闘への意味が浸透しなかった大阪都構想ダブル選挙!だが住民生活は?
2015-12-13 16:59:40
現実が見えない慶應義塾大学不名誉教授(小林節)が発狂。
野党が割れなければ必ず安倍政権は倒せる・・・と豪語。
ご存知のとおり
●維新の党が割れた。
●民主党も割れた。
小林節が如何に世の中を読めないかが分かるだろう。
平和ボケが描く船(9条丸)は泥船だ。 雨が降ったら、濡れただけで崩れてしまう。
泥船の舳先で、行け行けラッパを吹いているのが騒ぎを起こす天邪鬼(山本太郎)だ。
小林節に着いて行くと溺れ死にするぞ。
安全・安心の船(日本丸)の艦長(安倍首相)であれば大丈夫。 (引用ここまで)
愛国者の邪論 野党が割れるのは、安倍政権温存のためです。「割って出ていく輩」はどんな「輩」か!それをよくよく見れば安倍政権温存のやらせ演劇であることが浮き彫りになります。また「野党だらしない」論が高まれば高まるほど、安倍政権は安泰です。それは安倍政権支持率と、支持する理由を視れば明らかです。
毎日毎日報道されているテレビのニュースで見る国民生活の実態を視れば、安倍政権が一番危険な「船」であることは、一目瞭然でが、如何でしょうか?
また安全・安心であるならば、更に言えば、「積極的平和主義」を実行するのであれば、いや「自由・人権・民主主義と法の支配の価値観」を拡散していくのであればテロ対策などする必要は全くありませんが、如何でしょうか!
2015-12-13 17:00:27
日本国民よ 真実を知れ!
タイトル : 外国は常に仕掛けてくる。 国内の反日に騙されるな!
戦勝国アメリカに去勢(タマ抜き)された日本は、馬鹿にされ 惨めだ!
日本弱体化政策で作られた現憲法(占領憲法・・・タマ無し憲法)と ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)によって、戦後日本は平和ボケが万延し、騙されやすい国民になっている。 懺悔すべきは(歴史的な白人国家による植民地政策)だ。 日本は日露戦争と先の大戦で、白人による世界支配・人類支配を打ち破ったのだ。
日本は去勢(タマ抜き)されたままでいいのか?!!!
世界中の国が軍隊を保有しているにも拘らず、日本が(れっきとした軍隊)を保有していないが故に、近隣の中国・韓国・北朝鮮がその優位性を利用した外交戦略を日本に仕掛けているのが常態化している。 日本は堂々と軍隊を持つべきなのだ。 軟弱な占領憲法は破棄し、日本人自らが憲法を作り直さなければならない。
現憲法のままで、北朝鮮にいる拉致被害者が戻ることは有り得ないばかりか 救出もできない。 竹島も奪還できない。 千島列島も取り返せない。 全ては国家間の力関係で動くのだ。 日本は圧倒的な国力(経済・軍事・外交・科学・教育文化)を持たなければならない。 正義心の通る強い発言力を持つ国となって、優れた知恵と技術で世界平和を実現することに貢献しなければならない。
韓国政府が金慶珠を使って(日本に情報戦を仕掛けている)ことを、日本国民は知らずにテレビ番組などで彼女の話を聞いている。 彼女が韓国の工作員(スパイ)であることすら知らないのである。
福島瑞穂・福山哲郎・山本太郎は日本人のフリをした国会議員であり、辻元清美は日本国の転覆を図っている。民主党を率いる代表的人物は日本が不利益になろうとも決して利益をもたらすことはない。 岸井成格のような確信的放送法違反者や 古舘伊知郎・田嶋陽子のような、へそ曲がりもいる。 果てはここまで狂ったか、シールズのような無知ラップ集団までもいる。・・・まともな学生ではない。
日本共産党はソ連(スターリン~)・中国(毛沢東~)・カンボジア(ポルポト)の共産党となんら変わらず、実に残虐な恐怖政治の思想家集団だ。(引用ここまで)
愛国者の邪論
1.戦勝国アメリカに去勢(タマ抜き)された日本は、馬鹿にされ 惨めだ!
そのアメリカに言いなりの安倍首相について、安全・安心の船(日本丸)の艦長(安倍首相)であれば大丈夫と言っているのですが、不思議です。
2.日本は日露戦争と先の大戦で、白人による世界支配・人類支配を打ち破ったのだ
というのであれば、戦勝国アメリカに去勢(タマ抜き)されるはずはありません!
3.現憲法のままで、北朝鮮にいる拉致被害者が戻ることは有り得ないばかりか 救出もできない。 竹島も奪還できない。 千島列島も取り返せない。
4.日本は堂々と軍隊を持つべきなのだ。 軟弱な占領憲法は破棄し、日本人自らが憲法を作り直さなければならない
というのであれば、どのようにして拉致被害者を救出するのか。竹島を奪還するのか。千島列島を取り返すのか!戦争で取り返す?
5.日本は圧倒的な国力(経済・軍事・外交・科学・教育文化)を持たなければならない。
経済・軍事・外交・科学・教育文化面における「圧倒的な国力」とは、どんなことでしょうか?
国内の経済・軍事・外交・科学・教育面の実態は圧倒的国力を保持していないと言うことを言っていると思いますが、どうやって「圧倒的な国力」を保持するというのでしょうか!
6.日本共産党はソ連(スターリン~)・中国(毛沢東~)・カンボジア(ポルポト)の共産党となんら変わらず、実に残虐な恐怖政治の思想家集団だ
未だに、こんなことを信じている人がいるということが不思議です。「生きている化石」と言ったら失礼です。共産党について、もっと調べたらどうでしょうか。そこで、以下掲載しておきます。ご覧ください。
日本共産党創立77周年記念講演会
「現代史のなかで日本共産党を考える」
幹部会委員長 不破哲三
1999年7月25日「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/jcp/etc_kaigi/990725_jcp77th_fuwa.html
世界との関係――ソ連・中国の干渉を打ち破ったたたかいからなにを得たか
「日本の問題は、自分で考え自分で決める」――自主独立の態度を打ちだした
二番目の角度は、世界との関係です。私たちは、四十年前にいまの立場、方針をうちだす以前、「五〇年問題」といいまして、たいへんつらい経験をしました。
アメリカの占領下に、党が分裂したのです。そのとき、分裂した一方の側にソ連と中国がついて、ソ連と中国で用意したとんでもない方針を日本にもちこんできたのです。”火炎びん事件”とかの物騒な事件はみな、その一方の側からのソ連や中国の方針のもちこみでおきたことでした。日本共産党が戦後国民のあいだでつちかってきた信頼も、完全にくつがえりました。
そういうつらい時代をへて、私たちが党を統一し、きちんとした方針、立場をもつ党として再建したのが、四十一年前の第七回大会でした。そのとき、私たちは、そのつらい経験から、党のいまの綱領の方向をうちだすと同時に、「自主独立」という態度をうちだしました。ソ連、中国のような、当時でいえば大きな国、自分の国の革命を成功させたという成績をもつ大きな共産党であっても、日本の運動のことについてはどんな外国にも口出しはさせない。そして、日本の運動の問題、日本の問題は、日本共産党が自分の知恵で考え、自分で決め、かりにまちがったときにも自分でちゃんとそれを乗り越えて前へすすむ――この「自主独立」という態度を、約四十年前に決めたのです。
二つの大国の干渉とたたかって、解決をかちとる
そうしましたら、それから間もなく、ソ連、中国という両方からたいへんな干渉の攻撃をうけました。ソ連はフルシチョフという政権の時代でした。日本共産党がソ連の外交政策の応援団にならないのはけしからん、そういう攻撃でした。つづいて、中国は毛沢東の時代でした。自分の外交政策の応援団にならないという問題にくわえて、革命のやり方が中国方式の「鉄砲から政権が生まれる」という武力路線とちがうのが気に入らない。それで両方から攻撃をうけたのです。その攻撃も、言葉だけの攻撃ではありません。実際に手をだして、日本の国のなかに自分たちの干渉の手先の出店をつくり、なかからわが党をひっくりかえそうという大変な攻撃でした。
世界でも、この二つの大国から同時に攻撃を受けたという党はどこにもなかったのです。
その攻撃を、私たちは自主独立の立場で二つながら打ち破りました。そして相手側はどちらも最後には自分たちの誤りを認めて、問題を解決しました。
しかし解決の仕方とそのあとの状況は、ソ連と中国ではずい分とちがいました。ソ連は十五年かかって一九七九年に誤りを認め、いちおう解決したのですが、口先だけの反省という調子がみえみえでした。だから、自分たちが日本共産党にたいして反省したという事実をソ連の国内ではひた隠しにする、そんな調子ですから、すぐに大国主義のゆり戻しがあり、ソ連共産党の解体までそういう状態がつづきました。
中国の場合は、三十二年かかって、昨年問題を解決し、党どうしの関係をうちたてたのですが、いまの中国の指導部は、干渉をやった当時の毛沢東指導部とまったくちがって、むしろそのときに、いわばおさえつけられていた側にいた人たちです。だから、日本共産党にどんな悪いことをやったかということをよく知りません。しかしずっと過去にさかのぼって事実を調べ上げて、自分たちはどこがまちがっていたのか、そういうことの歴史的反省をきちんとあきらかにしました。そしてそのことを、私も驚いたのですけれども、テレビや新聞で大々的に宣伝するのです。それを国民に知ってもらいたいというわけです。
ここらへんがソ連とはずい分ちがった態度でした。ですから、中国の共産党とのあいだにはこれを基盤に、おたがいに気持ちのよい友好と交流の関係をつくりあげることができました。
私がいま、あらためてその話をするのは、これがただ歴史のうえだけの問題ではないからです。
私たちがいま活動するうえで、二つの大国の干渉とのたたかいを通じてかちとった理論的、政治的な財産で、いまなお生きているものが非常に大きいのです。
干渉は許さない、対等に交流、必要な場合にはどんな相手とも談判
――外交活動の基本をすえた
いくつかあげますと、私たちはこのなかで、まず外交活動の基本をすえました。どんな相手であっても、干渉や無法な攻撃は許さない。どの国、どの政党とも、対等の立場で交流する。日本の国民の利益や世界の平和にかかわる問題が起きて、必要な場合には、相手がだれであれ、堂々と談判する。こういう態度です。談判というと少しつよい言葉ですが、実際に、六〇年代、七〇年代にはいろんな談判をやったものです。
中国の毛沢東派の干渉が始まったのも、実は、アメリカがベトナムに攻め込む戦争を起こしていて、それにたいして団結してたたかおうじゃないかという方針で私たちが談判に乗り込み、毛沢東との会談が決裂して以後のことでした。
ソ連とは領土問題で突っ込んだ談判をやりました。「日ソ間に領土問題なんかない」といってがんばるソ連にたいして、「日本とソ連のあいだには平和条約が結ばれていない。ソ連の字引にも平和条約とは国境を画定する条約と書いてある。平和条約を結んでいない以上、日ソ間に両国が認めた国境がないこと、領土問題が解決していないことは明りょうじゃないか」、こういう論立てでソ連側を追い詰めて、とうとう領土問題の存在を認めさせたのが、一九七九年の日ソ両党首脳会談です。この点では日本の政府よりも、だいぶすすんだ交渉をしていたのです。
それから、六八年には北朝鮮にいったのですが、これも実は、大きな問題での談判の訪問でした。北朝鮮の金日成政権が、六七年の暮れごろから「南で動乱が起こったら、主導的に対応する」、「解放戦争の覚悟をせよ」、こういうことを金日成みずからさかんに宣言していたのです。六八年一月には、北朝鮮のゲリラがソウルの大統領官邸を襲撃する、南のあちこちで遊撃隊活動がひろがる、それを北で大宣伝する、ほんとうにぶっそうな状況でした。
私たちは、当時書記長だった宮本(顕治)さんが団長になって、私もくわわって北朝鮮にゆき、金日成との会談で、「無法な南進は、日本の民主派は絶対支持しない。そんなことはやめるように」という申し入れをしたのです。そのときは金日成が「南進するつもりはない」と言明したので、いちおう解決したのですが、それ以後、北朝鮮側からの私たちへの攻撃的な傾向がつよくなり、八三年のラングーンでの爆弾テロ事件、八四年の日本海での日本漁船にたいする銃撃事件のときに、私たちへの乱暴な非難・攻撃がおこなわれました。それで関係を断絶して今日に至っている。これが北朝鮮との関係の歴史です。
私は、野党であっても、日本の国民に責任をおう政党である以上、必要なときにはこういう談判をするという姿勢が非常に大事だと思っています。
自分の党の歴史も知らない公明党の反共攻撃
実は、日本の野党外交にはこれが弱いのです。相手側のいい分をきいてきて、日本にもって帰る、「窓口外交」といって、これが昔から盛んでした。それから、世界にいろんな問題が起きても、どこかの大国の立場で対応するという傾向がつよくて、ほんとうに日本の国民の自主的立場を表した外交が弱い。これは私は、与党野党を問わず、日本の政界の大きな弱点になっていると思っています。
この問題で実は最近、こっけいなことがありました。六月に東京・足立の区長選挙があったでしょう。あのときには、相手は自自公に民主党が加わっての大激戦で、反共攻撃がほんとうにひどかったのですが、公明党の党首(代表)代行が、なんとカンボジアのポル・ポト政権の問題をもちだして日本共産党攻撃をやったのです。「日本共産党がめざす体制とはなんなのか。カンボジアのポル・ポト体制とどうちがうのか、真っ正直に説明すべきである」。こんなことをいったのです。
ポル・ポト体制というのは、カンボジアの国民を百万人単位で殺したというたいへんな犯罪体制でした。それをひっぱりだして攻撃をする。私はあとでこれをきいてあきれました。なにをあきれたかというと、この方が自分の党の歴史をなにもご存じないことにあきれたのです。
実は、日本の政界では、八〇年代のはじめごろに、ポル・ポト政権への応援というのが盛んだったのですね。「救援センター」をつくるとか、ポル・ポト政権支援の「国際会議」をひらくとかが、ずいぶんやられました。当時は、中国がまだ毛沢東時代の名残がつよいころで、ポル・ポト政権の背景に中国がいることをみんな知っていますから、各党が”われもわれも”とこの運動に参加し、日本共産党を除く全会派が応援団の仲間入りをしました。
自国の国民を大量に殺したポル・ポト派の非人道ぶりを告発したのは、日本共産党だけでした。公明党もその応援組織に副委員長などを送りこんだ、れっきとしたポル・ポト応援派であります。その公明党が、ポル・ポト問題をもちだして日本共産党を攻撃するとは、よくもいえたものだというのが、私があきれかえった真相であります。(大きな拍手)
反共攻撃をやるにしても、もっと歴史の勉強をしてもらいたい(笑い、拍手)。まあ、日本共産党の歴史とまではいいません。自分の党の歴史ぐらいは勉強してやってもらいたいというのが(笑い、拍手)、私がいいたい点であります。
事実と科学にもとづいてアメリカの世界戦略を正確に分析
科学的社会主義をどういう立場でとらえ、発展させるか
レーニンの理論の評価をめぐって――全面的な再吟味にとりくむ (引用ここまで)