過度な個人主義にもとづく夫婦別氏制が
採用導入されれば
諸々の弊害と社会問題を発生させる!
これまでの「墓制」や
祖先崇拝の「家庭祭祀」の風習は廃れ
老年者の介護や親族間の扶養義務の観念は薄れ
民族の伝統文化は
急速に解消されて変質をきたすことが憂慮!?
神社と神道
http://jinja.jp/
論文 『家族が危ない-夫婦別姓化は私たち国民の重大問題-』 より
http://jinja.jp/modules/jikyoku/index.php?content_id=1
1.私たちの主張と見解
私たちは、現在、政府の法務省が国会に提出しようとしている夫婦別氏(姓)制の導入を柱とする民法改正案には、断固反対いたします。理由は、次の三点です。
その第一は、民法改正が国民の絶対的な必要性となっていないことです。
まじめに結婚と家族というものを考えて、「本当に夫婦別姓でなければ個人がどうしても生かされない」「お互いに別姓のままでの結婚生活を選択するのでなければ、夫婦子供は決して幸せな生活を送れない」と真剣に考えている成人男女が、いったいどれほどいるのか。さらに、「今改めてもう一度旧姓に戻りたい、旧姓にかえって新たに夫婦別姓の生活を送りたい」と真剣に考えている既婚の夫婦が、現在、どれほどいるのか。
愛国者の邪論 「真剣に考えている成人男女が、いったいどれほどいるのか」が問題ではありません。憲法を活かした政治と暮らしが保障されているかどうか、それが問題なのです。
日本国憲法
○2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
○3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する
これまでの調査でも明らかなことですが、夫婦別氏制の支持、不支持の声とは別に、実際に、他の人はともかく自分は別姓でいくと、本心で考えて民法改正の要求をしている人の数は、極めて少数であるのが現状です。それなのに、法務省の官僚らが、ごくわずかの強硬な別姓推進論者に与して、民法改正案の国会提出を企てているのは、全く民主的とはいえないからであります。
愛国者の邪論 「ごくわずかの強硬な別姓推進論者に与し」ているのは「全く民主的とはいえないから」だと言う考え方は「民主主義的」でしょうか?「ごくわずか」であることは「民主的とはいえない」論です。民主主義は「多数決」だけではありません。少数者の尊重こそ、民主主義の土台です。
その第二は、夫婦別氏制導入論者の本当の狙いが、行き過ぎた個人主義にもとづき、我が国国民の健全な家族倫理観と伝統の家族制度を解消解体するところにあるのを、深く危惧するからです。
家庭は、夫婦が共同生活を営む場であり、子供を産み育てて教育する安らぎの場です。従って家族は、夫婦及び親子の絆を最も大切にすべき道徳的な存在であり、国家、社会の基礎的単位として、法的にも保護を与えられねばならない存在です。現行の夫婦親子同氏制は、家族の一体感を高めると同時に、社会的に夫婦親子であることを公に示すのを容易にするという大事な役割をもっています。
愛国者の邪論 現在の日本においては、「家庭」が「子どもを産み育てる安らぎの場」ではないこと、「夫婦及び親子の絆を最も大切にすべき道徳的な存在」ではないことは、明らかです。何故か。戦後自民党政権の政治に、その原因があります。
ここの部分に、大ウソ・スリカエ・ゴマカシ・デタラメが浮き彫りになります。
しかしながら、現在、夫婦別氏制を強硬に主張している中心グループが目指しているのは、家族の強化や家の存続などではなく、全く反対に、わが国のこれまでの家族制度や家意識を徹底的に解体するところにあるのは、その主張、文書などからみて明らかです。その思想は、個人をもって全てに優先するところの社会の基礎単位と考える、過度の個人主義に立脚した危険な考えに基づいています。
このような考えにもとづく夫婦別氏制は、わが国においては、法的にも、道徳的にも、その正当性を認め難いと考えるからであります。
愛国者の邪論 「ごくわずかの強硬な別姓推進論者」である「夫婦別氏制を強硬に主張している中心グループ」は、「過度の個人主義に立脚した危険な考えに」基づいて「わが国のこれまでの家族制度や家意識を徹底的に解体するところにある」とする考え方は、意図的です。
その第三は、もしも民法の改正案が成立して、このような過度な個人主義にもとづく夫婦別氏制が採用導入されれば、以下のような諸々の弊害と社会問題を発生させると考えるからです。
ア、夫婦別氏制は必然的に親子別氏制をもたらします。同姓にするか、同姓にするとしてどちらの姓にするか、また別姓でいくとすると、さらに今度は子どもの姓を父の姓にするか母の姓にするかなど、姓の取り合いと折り合いをめぐって協議整わずに対立を生じ、かえって婚姻を困難にすることにもなります。また、子供にとっては、いづれか一方の親との別姓を強制されることとなり、それが心理的圧迫となって、子供の不幸をもたらすことにもなります。
愛国者の邪論 「別姓を強制しているのは」夫婦親子同氏制」と同じ視点です。「『憲法を活かす!」を一致点にするのであれば、当事者である本人の「意思」が問題であることを確認・合意しておくことです。
イ、別姓夫婦が出現すれば、第三者にとっては法律婚(届け出婚)と事実婚(同棲)との区別がつかなくなり、非法律婚の増加をもたらします。欧米の先進諸外国の例にみられるごとく、それは婚姻制度そのものをみだすもととなり、社会的道徳的に憂慮すべき状況をもたらすことが懸念されます。
愛国者の邪論 「社会的道徳的に憂慮すべき状況をもたらすこと」の原因に「婚姻制度そのものをみだす」「非法律婚の増加」があり、それは「欧米先進諸外国」でみられるとしているのですが、事実でしょうか。
ウ、夫婦の同氏制と別氏制が同時に併存することになるゆえに、そこから新たな不便や不都合、不利益が広く社会的に発生してきて、かえって実際に今一部の女性が問題にしている事柄以上の、複雑で厄介なコストのかかる社会状況の出現が予想されます。
愛国者の邪論 「不都合」は国会で解決すべき問題です。
エ、共同体としての「家族の維持」より自分一人の「個人の利便」が優先する利己主義の風潮が社会に広まり、「家族の名称」(ファミリーネーム)としての氏がなくなることにより、縦の生命のつながりを大切にするわが国の精神伝統は断絶し、これまでの「墓制」や祖先崇拝の「家庭祭祀」の風習は廃れ、老年者の介護や親族間の扶養義務の観念は薄れ、民族の伝統文化は急速に解消されて変質をきたすことが憂慮されます。
愛国者の邪論 「縦の生命のつながりを大切にするわが国の精神伝統」とは「天皇制」と言えます。これこそが「ホンネ」です。「老年者の介護や親族間の扶養義務の観念は薄れ、民族の伝統文化は急速に解消されて変質をきた」してきているのは、戦後自民党政権の「大きな成果」です。日米軍事同盟によって日本社会を根底から、土台から崩してきたのではないでしょうか。ゴマカシ・スリカエ・デタラメ・大ウソは極めて「不道徳」です。
私たちが夫婦別氏化法案に反対するのは以上のような理由からですが、ただし、特別に理由があって、どうしても結婚後も「旧姓」の使用を続けたいとする人に対しては、決して反対するものではありません。そうした人々のためには、「通称使用」の制度化をはかり、その拡大化と一般化を、政府の責任において推進すべきものと、提案いたします。通称使用の制度化ならば、あえて夫婦別氏制の法制化を論じるまでもなく、現行法のもとで、さして実害もなく、社会的にその実現が可能かつ容易であり、現にかなりの数の企業においてすでに実施されているからであります。(引用ここまで)
愛国者の邪論 どこかの思想と論理が、すでに、この段階で出されています。というか、これが常識的であるならば、少数者の意見を尊重して、その利益を保障すべきです。
「通称使用の制度化」が不利益をもたらしているからこそ、「夫婦別姓」を認めるべきなのです。どの氏を使うかどうか、個人の尊厳を踏まえて決めるべきです。主権者は国民です。