そもそも外国の「キョーサントー」の評判の悪さが
何で、何で、何で
日本の「キョーサントー」の評判の悪さになるか?
日本の「キョーサントー」って、
何か、国民に悪いことしたか?
この「政治風評」こそが
戦後自民党政権を温存し延命させてきたのだな!
昔ソ連・今中国・北朝鮮!
これで、どれだけ自民党は助けられたか!
ところで、
「自由民主党」ってどこかにあったような!
「民主党」ってのも、あったな!
何で、外国の
「自由民主党」「民主党」は問題にならないのだ!?
チョッと考えると
スリカエ・ゴマカシ・デタラメ・大ウソだって
判るんだけどね!
日本共産党
「大衆党」に党名変更なら自民圧勝の構図崩壊か
週刊ポスト2016年1月1・8日号 2015.12.24
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20151224/plt1512241540003-n2.htm
7月の参院選は安倍晋三・首相の悲願である「憲法改正」に向け、自民党が圧勝を狙う戦いだ。
対する野党は総崩れ状態。
唯一、勢いのある日本共産党の志位和夫・委員長が呼び掛けた「国民連合政府」構想も、民主党保守派の激しい反発で頓挫したかに見える。
最大の原因は「共産党」という党名への抵抗感だ。
共産党は前回2013年の参院選で約500万票、2014年総選挙では約600万票(いずれも比例代表)を獲得するなど得票も議席も増やしているが、有権者には時代錯誤の「共産主義」に対するアレルギーが根強い。
「共産党と組むというだけで従来の支持者が逃げてしまう。せめて共産主義との決別をはっきり示してくれたら連携しやすくなるのだが」(民主党ベテラン議員)というのが本音だ。
実は共産党支持者からも「大衆党」や「国民党」などイデオロギー色を排した党名に変えてほしいという声があがっている。
実際、欧州の共産党には現実路線に転換して党名を変え、「国民政党」へと脱皮したケースが少なくない。
ドイツでは東西統一後、共産党メンバーが左派政党に合流、「左翼党」という名で野党第一党となり、イタリア共産党は1990年代に「左翼民主党」と党名を変えて左翼連合「オリーブの木」の一角として政権に加わった。
日本共産党にとって、他の野党が総崩れ状態のいまが国民政党へと脱皮する好機でもある。
「自己犠牲の精神で毎日献身的に『赤旗』を配っている古参党員や指導部は共産党という党名に誇りがある。党名が変わればぞろぞろ古参党員の離党者が出るでしょう」(元共産党中央委員会常任幹部会委員の筆坂秀世氏)といわれているが、若い党員からは「だからこそ党名変更だ」という声が出ている。
「書記局の古参の人たちはもう長くない。志位さんも本当は分かっている。あとは決断のタイミングだけ」(党関係者)というのである。
可能性としては、7月の参院選公示直前、最もインパクトの大きいタイミングで志位氏が動くことも予想される。民主、維新、共産、生活、社民の野党党首会談の席上、志位氏の「党名も安保政策も変える。私は野党連合の一兵卒でいい」という爆弾発言に他党党首は気圧され、頷くしかなくなるのではないか--。
そうした展開の仕掛け人は、野党統一名簿での選挙を提唱する小沢一郎・生活の党代表だ。
「小沢氏は志位氏らと何度も会談して現実路線への転換を促した。現在は松野頼久・維新の党代表の指南役として民主党との合流を勧める一方、共産党には党名を変更すれば民主、維新、生活と一緒に日本版オリーブの木に参加できると決断を迫っている」(小沢側近)
参院選の決戦場となる32の1人区では、「野党が統一候補を立てれば、自公など改憲勢力による3分の2どころか、自民の単独過半数確保も難しくなる」(政治ジャーナリスト・野上忠興氏)と予想されている。
共産党が「大衆党」に看板を換えた時、自民圧勝、憲法改正のシナリオに狂いが生じる。(引用ここまで)
愛国者の邪論 「コミュニズム」は『共産主義』と訳していますが、この訳語が正しいか。「コミューン」は何と訳すのでしょうか?「共同体」だったかな?
「マニフェスト オブ コミュニストパーティー」を「共産党宣言」と訳したのは、幸徳秋水と堺利彦だそうです。これが世界で漢字表記をした、最初の出来事だった。
これを中国語である漢字として中国共産党が結成された。その後に日本共産党が結成された。これが「通説」のようです。
「実際、欧州の共産党には現実路線に転換して党名を変え、「国民政党」へと脱皮したケースが少なくない」と言うのは、トリックです。欧州には「共産党」=「キョーサントー」という言葉はありません!日本語か漢字の「共産党」という言葉で、欧州の「共産党」が「徘徊」していることなどあり得ないからです。
こんな簡単なことが、情報伝達手段であるマスメディアを使って垂れ流される「共産党」=「キョーサントー」論で、スリカエられてしまっているのです。
戦前の「鬼畜米英」と同じです。1840年代には「妖怪」でしたし、明治期には「コレラ」「コロリ」だったのですから、こんなにネット情報が氾濫している割には、1840年代と同じなんですね。こんな記事が書かれれてしまうのですから。
しかし、同時に、「日本共産党」が、国民の中に浸透しはじめてきたという証拠になるような記事でもあるわけです。
愛国者の邪論は、「コミュニズム」は『共産主義』と訳すのではなく、新しい訳語を考えるべきだと考えています。これが完全に訳語学と言うか、英語学と言うか、社会科学の問題でもあると考えています。
「コミュニズム」の「コミュ」とコミュニティの「コミュ」、コミュケーションの「コミュ」は同じ「共同」です。これはデモクラシーの「デモ」を土台にしているのです。
通常、コミュニズムとデモクラシーは対立的に考えらえているというか、対立するものとして自由と民主主義を標榜する資本主義の側から「攻撃」されています。このことが、学校教育においても繰り返し、教科書を通して、子どもに教えられているのです。これが日本国民の脳みそに浸透し沈殿してしまっているのです。
このことを踏まえて、科学的にコミュニズムとコミュニティとコミューンとデモクラシーを位置付ける必要があるように思います。
中国共産党
https://ja.wikipedia.org/wiki
大村 泉
「幸徳秋水/堺利彦訳『共産党宣言』の 成立・伝承と中国語訳への影響」
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/603/603-01.pdf
アジアでの普及は1904年11月13日付の『平民新聞』第53号における幸徳秋水/堺利彦の翻訳を嚆矢とする。
『平民新聞』に掲載された日本で最初の『共産党宣言』の翻訳は,エンゲルスの英訳の序に第1, 2,4章が続き,第3章を欠いていた。
『平民新聞』当該号は発売後直ちに発売禁止となり,幸徳 や堺,そして編集者西川光二郎には罰金刑が課せられる。
しかし堺は弾圧に怯むことなく,裁判判 決に,純粋に学術研究に関わる史料であれば,たとえその内容が穏当さを欠くとしても,公表刊行 することは差し支えないという一句(11)があったことに着眼し,この判決文を盾に取って,いわば 「合法的」に,『共産党宣言』を翻訳出版したのであった。
すなわち,堺は,雑誌『社会主義研究』 の創刊号(1906年)に,『平民新聞』で欠落していた第3章の翻訳も加え,全文を訳載した(12)。
日本国内でマルクス/エンゲルスの著作が全文訳出紹介され,一定の普及を遂げたのはこれが最初であった。
『社会主義研究』にはその後同じく堺によって『空想から科学へ』の翻訳も収録された。
しかしこうした形でのマルクス/エンゲルスの著作の普及は永続しなかった。
1910年いわゆる大逆事件に連座させられ,幸徳秋水が逮捕,処刑されて以後、『共産党宣言』は第二次世界大戦で日本が敗戦国となるまで,発禁の書となった。
『共産党宣言』の合法的な翻訳は,学術誌上の部分訳 や長文の引用以外には許されず,もっぱらいわゆる地下印刷や手書きの写本形式で普及されるほか なかった。(引用ここまで)
「共産党」の名前は、日本の人権・民主主義の歴史から視れば、輝かしい歴史をもっていることになります。あの天皇制政府下において、「発売禁止本」だった!
このことは戦前18歳選挙権を主張することすらできなかったことと関連しています。
この歴史を視ると、憲法の人権・自由・民主主義の土台になっていることが判ります。
しかし、戦後自民党政権が情報伝達手段であるマスメディアを使って戦前のようなことが行われてきたことを直視する必要があります。
さて、こうしたデタラメを解明していくために何が必要か!