東京新聞でさえも混迷している安全保障政策!
日本は安全保障を米国の「核の傘」に頼っているため
核兵器の法的禁止には距離を置いている
そんな日本が北朝鮮の核抑止力を批判できるか!
北朝鮮の核政策を非難するまえにやることあるだろう!
核と人類/パグウォッシュ会議を前に
抑止より脅威を語ろう
2015/10/29 8:00
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015102902000146.html
被爆者の平均年齢は八十歳を超えたが、核廃絶の歩みは進まない。世界にはいま約一万六千発の核兵器が配備され、米国とロシアが90%以上を保有する。五月、国連本部での核拡散防止条約(NPT)再検討会議は最終文書を採択できず、決裂して閉幕した。
オバマ米大統領は二〇〇九年、「核兵器のない世界の実現」を訴え、翌年には米ロ両国が配備する戦略核兵器を約30%削減する条約に調印した。しかし、ウクライナ問題をめぐる対立などで、軍縮交渉は行き詰まった。プーチン大統領は戦術核の有効性を示唆する発言さえしている。中国も配備数を明らかにしないままだ。
不拡散では、イランの核活動を大幅に制限する合意が実現したが、北朝鮮はNPT体制を否定し公然と核開発を続ける。
保有国側は核兵器があるからこそ大規模な戦争はできない、という抑止論を変えようとはしない。
まず核実験や核物質生産を禁止するなど、段階的な軍縮が現実的だと主張する。一方で国際社会では近年、「使用された場合、壊滅的な結果をもたらす」現実を重視する考えが広がる。万が一、核攻撃が行われたら、一帯は放射能で汚染され、医療チームや消防、軍隊さえも救助活動ができない。それほど非人道的な兵器は造ってはならず、持つべきでもないという考えだ。
百を超す国々が核兵器を禁止する条約の制定に賛同している。
日本は安全保障を米国の「核の傘」に頼っているため、核兵器の法的禁止には距離を置いている。
だが、唯一の被爆国である以上、政府は核の抑止力より脅威をもっと語るべきではないか。非人道性をめぐる国際的な議論に、積極的に関与する努力が求められる。
広島市で来年四月、主要国首脳会議(サミット)の外相会合が開催される。参加国、とりわけ核保有国である米英仏の外相は被爆地を訪問し、軍縮への取り組みを明確に発信するよう望む。
核問題への取り組みは政府だけでは進まない。反核運動は日本原水爆被害者団体協議会(被団協)を中心に、政党、労組、宗教団体、生協など消費者団体、非政府組織(NGO)と幅広い組織が担ってきた。学者や医師、法律家も積極的に発言した。
思想や信条を超え、各国の組織とも手を結び、核廃絶を若い世代に引き継ぎたい。(山本勇二)(引用ここまで)
安倍政権と情報伝達手段であるマスメディアは
平和憲法をねじ曲げて米国以上に強く
抑止力神話に呪縛されている!
核と人類/パグウォッシュ会議を前に
戦争ができてはイケン
2015/10/28 8:00
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015102802000148.html
広島の原爆ドーム前の名物ボランティアガイド、三登浩成(みとこうせい)さん(69)は、三つのモットーを掲げて訪れる人と向かい合う。
事実を正確に、わかりやすく、そして心に響く−。理性に訴え、感情を揺さぶるようなガイドを心掛けているという。
しかしやっぱり、揺るぎない事実がすべての基礎になる。
約七千三百発、地球上に存在する核弾頭の半分近くを保有する米国からの旅行者は、概して自国の核に対する認識が浅いと、三登さんは感じている。
たとえば一九六一年一月に、米ノースカロライナ州で起きた「ゴールズボロ空軍機事故」のことを知る人は、めったにいない。
二発の水爆を搭載したB52爆撃機が空中分解し、起爆可能な状態のそれらが投げ出されたものの、地上三十メートルで落下傘が開き、奇跡的に事なきを得た。二発とも広島型原爆二百五十発以上の破壊力があったという。その一方で「原爆投下は戦争終結を早め、米軍兵士五十万人の生命を救った」という“定説”は根強く信じられている。
「核兵器が一発でもある限り、何が起きてもおかしくない。核の抑止力なんてものはない」
三登さんはそう断言し、「核の傘」の話で解説を締めくくる。
日本は米国以上に強く、抑止力神話に呪縛されている。昨年十月、日本は国連の「核兵器の非人道性と不使用を訴える共同声明」に賛同した。なのに、平和憲法をねじ曲げてまで集団的自衛権を容認し、米国の核抑止力にしがみつく。
唯一の被爆国がなぜ−。ヒロシマが、ナガサキが、私たち一人一人に突きつける問いである。
平和記念公園の被爆アオギリ=写真=の前で、自らの被爆体験を語って平和を説き続け、三登さんをガイドボランティアに導いた故沼田鈴子さん。その珠玉の言葉を今あらためてかみしめたい。
「日本を戦争のできる国にしてはいけんよ」(飯尾歩)(引用ここまで)
人類は核と共存できるのか、ではなく
できない!だから何をなすべきか!ではないのか!
核と人類/パグウォッシュ会議を前に
世界を動かした死の灰
2015/10/26 8:00
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015102602000135.html
秋の修学旅行シーズン、真っ盛りだ。東京・夢の島にある「第五福竜丸展示館」にも、小中高校生たちの姿が目立つ。
第五福竜丸は一九五四年、太平洋で操業中に、米国がビキニ環礁で行った水爆実験で被ばくした。大量の放射性降下物(死の灰)を浴び、乗組員の一人が帰国後、死亡した。展示館には、ガラス瓶に入った「死の灰」がある。瓶のラベルが茶色く変色しているのとは対照的に、食塩のような純白の小さな粒だ。サンゴが水爆で破壊され、その熱に焼かれてできた。放射線はもう測定できないほどだという。
これがきっかけで、原水爆禁止運動が国民的な広がりを持った。翌年八月六日、広島で開かれた「第一回原水爆禁止世界大会」には三千万を超える署名が集まった。展示館にはその署名簿の一部も展示されている。
影響は海外にも広がった。哲学者バートランド・ラッセルと物理学者アルバート・アインシュタインは「核兵器の廃絶と戦争の廃絶」を訴えたラッセル・アインシュタイン宣言を発表した。宣言を出す理由として、水爆実験で日本の漁船員が被ばくしたことに触れている。宣言には、湯川秀樹博士も署名した。
二年後の五七年、カナダの漁村パグウォッシュに、米、旧ソ連、西欧、東欧、中国などの物理学者ら二十二人が集まり、核兵器の危険性、放射線の危害、科学者の社会的責任について討議した。この後、パグウォッシュ会議のグループ名で毎年、開催されている。
来月一日から五日まで長崎市で第六十一回パグウォッシュ会議世界大会が開かれ、四十カ国から二百人近い科学者らが参加する。
国内での開催は一九九五年、二〇〇五年の二度、広島市で開かれたのに続き三回目だ。被爆地広島での開催は、参加者にとって貴重な経験となったという。
今回は、参加者と長崎の被爆者との対話を予定。福島第一原発事故が初めてプログラムに入った。「平和と共存の北東アジアをめざして」というセッションでは、将来の非核化を探る。
会議が開かれるのを機に、人類は核と共存できるのか、みなさんと一緒に考えたい。(井上能行)(引用ここまで)
安倍政権の核抑止力論政策は不問だな!
軍縮会議・広島/各国指導者は被爆地へ
2015/8/29 8:01
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015082902000136.html
国連軍縮会議が広島市で開かれ、外交から市民運動まで多角的に核廃絶に取り組むことを確認した。被爆七十年だが、世界には一万六千発の核兵器がある。停滞する軍縮を再び前進させたい。
会議は日本各地を巡回して開かれ、今回が二十五回目。軍縮、不拡散担当の各国政府や国連、民間の専門家ら約八十人が参加した。
討論では五月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議が最終文書を採択できず決裂したことについて、軍縮の機運が低下していると強い危機感が示された。
地球上の核兵器の九割以上を保有する米国とロシアが、ウクライナ情勢などで対立して削減交渉を進めない。中国が核兵器の配備数を明らかにしないなど、懸念される事実が報告された。北朝鮮が核開発を急ぎ、不拡散の分野でも対応が遅れている。
一方で国際社会ではここ数年、核兵器があるから大規模な戦争を防いできたという抑止論ではなく、「使用された場合、壊滅的な結果をもたらす」現実を重視する考えが広がる。百を超す国々が「核兵器禁止条約」の制定に賛同している。
広島の会議でも「核の非人道性」を議題とする国際会議に、米ロなど核保有国の参加を促そうと提案された。日本政府の主導的役割を期待する声もあった。
世界の首脳や指導者は広島、長崎を訪れ、被爆者の声に直接耳を傾けるべきだという意見が繰り返し聞かれた。一九九〇年代に米国の安全保障、核戦略を担当したペリー元国防長官は「核の恐怖を知らない人をぜひ広島に招こう」と呼びかけた。
各国の指導者、特にオバマ米大統領の訪問を粘り強く働きかけたい。在任中には伊勢志摩サミットもあり、退任後であってもオバマ氏には被爆地を訪れ、あらためて「核なき世界」の実現を訴えるよう望む。米国の指導者が原爆を投下した場所に来てほしい。多くの日本国民の願いだ。
被爆者の平均年齢は八十歳を超えた。記録を保存、整理して、原爆の悲惨さを若い世代に語り継がなくてはならない。
軍縮や平和構築を研究し、成果を世界に発信する人材の育成も必要だろう。
「放射能による苦しみは死ぬまで続くが、私は最後のひと呼吸まで廃絶をあきらめない」。広島県原爆被害者団体協議会の坪井直理事長(90)の訴えは、会議参加者に届いたはずだ。(引用ここまで)
希望とは
軍事同盟廃棄と憲法平和主義を活かす!
これしかないのに!
原爆忌に考える/ふり返って希望を語る
2015/8/6 8:00
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015080602000132.html
被爆と戦後七十年。この国はあの日のように、分かれ道に立っています。ヒロシマとナガサキの歴史に学ぶべきもの、それは、希望なのかもしれません。
長崎の夏も暑かった。
アスファルトが放つ熱にあぶられ、せめてもの涼を求めて、街かどのスターバックスに駆け込んだ。そのメッセージは店内の柱に掲げてありました。
<“ほっとする”“のんびり”“落ち着く”という言葉で表されるコーヒーは、実は世界でも危険(政情不安定)な地域からやって来ることもあります。戦争と平和というとあまり身近に感じないかもしれませんが、今のんでいるコーヒーやフラペチーノがのめなくなるかもしれないと思うと、平和について考えるひとつのきっかけになるのではないでしょうか。
今年長崎は戦後七十年の夏を迎えます。あなたにとって“平和”とは何ですか>
ちょうど七十年前の夏、その街の歴史に刻み込まれたものの大きさが、アイスコーヒーの冷気とともに身にしみました。
長崎大学元学長の土山秀夫さん=写真=は、待ち合わせの場所につえをついて来てくれました。世界平和アピール七人委員会の一人として、核兵器の廃絶を訴え続けてきた人です。
九十歳。長年の疲労が重なって腰椎を骨折し、少し不自由な体を押して、五月に発足した「平和憲法を守る長崎ネットワーク」の共同代表を引き受けました。この穏やかな老紳士を誰が、何が、行動へと駆り立てるのか。
長崎医科大学(現長崎大学医学部)の三年生だった土山さんは直接の被爆者ではありません。佐賀県の脊振(せぶり)山のふもとの遠縁宅で療養中の母親を見舞うため、原爆投下の四時間前に長崎市を離れ、命拾いをした人です。
◆見過ごすならば加担
爆心地から五百メートルの母校の木造校舎では、一、二年生合わせて約四百人が、基礎医学の講義を受けていました。そのほとんどが爆風でなぎ倒された校舎の中で瞬時に圧死しました。
かろうじて校舎をはい出た数人も、全身にやけどを負っていて、時をおかずに亡くなりました。
土山さんの命を救った母親は福井の士族の出身で、女学校時代にはガリ版刷りの文芸雑誌を一人で作って配っていたという、当時としては珍しい進歩的な人でした。
「理不尽を黙って見過ごすことは、理不尽に加担するのと同じこと」
やさしかった母親が、時に厳しく語った言葉が心を離れません。
土山さんは今年も、九日に市長が読み上げる長崎平和宣言の起草委員を務めています。
当初示された原案は、「安保法制」に触れてはいなかった。
土山さんは、強く訴えました。
「戦後七十年、被爆七十年の節目の年に、日本がどう変わるのか、極めて重大な岐路に立たされている時に、ただ海外に向かって核兵器を廃絶せよと絶叫しても、あなたの足元はどうなのか、戦争に巻き込まれてもいいのかと、言われるだけだ。節目の年だからこそ、よけいに避けては通れない」
「安保法制」という文字は、かろうじて書き込まれることになりそうです。
土山さんの原動力とは、長崎の街の隅々にまで刻まれた、歴史ではないのでしょうか。
世界中でヒロシマとナガサキだけが、戦争の行きつく果てを知っています。その悲しくも正視すべき歴史を踏まえ、特に若い世代に訴えたい。
戦後七十年の節目は、内憂外患の年になりました。
核拡散防止条約(NPT)の再検討会議は決裂し、日本は戦争ができる普通の国になろうとしています。地球が逆回りを始めているようです。今を直視しようとすれば暗い気持ちにさせられるかもしれません。
◆歴史に学ぶことから
歴史は絶対に変えられないし、変えていいものでもない。だが、歴史に学び、今に働きかける人が増えれば、必ず未来は変えられます。未来を生きる皆さん自身が、「希望」そのものだからです。
きょう、節目の原爆忌。街かどのカフェで冷たいコーヒーでものみながら、さりげなく自分に問いかけてみてください。
あなたにとって、「平和」とは何ですか。(引用ここまで)