知人との会話の中で、これは読んでなかったなと思い出し注文。昨日届いて何分の一か読んだ。
この本の内容は、題名通り賭博の日本史なんだが、著者の言いたいことつーか問題設定としては、賭博観は時代によって変わるってこと。
今では、賭博=悪というイメージが強いが、それは明治以降の政策によるものであり、時代と政策によって揺れ動くと。
たとえば、江戸時代には、賭博を知らないのは野暮であり、百人のうち十人あるかないか、という文献などがある。もちろん江戸時代でも時代によって違うわけで、後半の時期には、ほとんど野放しの状態になった。それが明治時代になってからの弾圧にもつながるのだろう。
まだ歴史的な部分は読んでないんだが、日本史上、文化的なもので勝負がつくものはほとんどが賭博だった過去を持つみたい。連歌、茶などは賭博の手段だったという。
考えてみれば、いつの時代だって人間は変わらないわけで、昔の武士や貴族だって、頭の中は金とエロと権力だよな。その形式の部分が今では文化となって残っているわけ。たぶん、仏教的なやつ以外は、たいがいの文化は賭博絡みだったんじゃないのかね。
同著者の賭博 3 (ものと人間の文化史 40-3)にはさらに詳しく書かれているのだが、明治以降では、2つの事件が賭博史的には大きかったとされている。
1つは明治期前半からなかばにかけての自由民権運動。これはいってみりゃ革命にもなりかねないもので、政府は弾圧に苦慮した。当時は職業的な博徒ってのがいっぱいいて、彼らは革命勢力の中核でもあった。とくに関東地方は博徒がすごかったという。半農半博とか半商半博みたいなやからが鬼のようにいたらしい。博打って何も生産しないから、それでなぜその地域社会が成り立っていたのか疑問なんだけど、北関東などは人口の相当の割合が博徒だったという。
賭博罪は彼ら弾圧するために作られ、それが現在の賭博=悪というイメージにつながっている。
もう1つの大事件は、戦後すぐの公営賭博の開始。それまで禁止されていた賭博を国が胴元になってやるということだから、これは大激論になった。国会で賭博は是か非か議論され、賭博罪は違憲ではないか、公営賭博は違憲ではないかなどの裁判がいくつも起こされ、最高裁判決も出ている。
ちょっと引用してみよう。
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賭博罪は憲法第十三条および第十四条違反であるという上告がその後も幾度かなされたが、いずれも、「国又は地方公共団体が主催する所論のような行為は、立法政策上許容されている」(最高裁判決昭和五〇年一一月七日)、「私人の行う賭博行為の当罰性を否定すべきか否かは立法政策の問題」(最高裁判決昭和五三年七月二一日)、「私人が行う賭博行為を処罰の対象とすべきかどうかは立法政策の問題であり憲法適否の問題でない」(最高裁判決昭和五四年二月一日)とされている。しかし、このように執拗に疑義が出されたことには注目しなければならない。
憲法十三条は〔個人の尊重と公共の福祉〕、同十四条は法の下の平等を述べたものであるが、競馬や競輪等はこれらに抵触しないという判決である。競馬や競輪、競艇が人気を得てファンと売上げが急増していくなかで、その後は最高裁で違憲かどうかの議論はなされなかったようである。「立法政策上の問題」という表現には、講和条約発効後もアメリカに従属した政策を継承した高度な政治的判断を示唆しているのかもしれない。
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こうして見てみると、公営ギャンブルはOKで私人はアウトという理屈は全然成立していないように思える。というか、最高裁自体が倫理性についての議論を回避している。
公営ギャンブルの発端は戦後すぐの宝くじで、とりあえずやってみたら、むちゃくちゃ売れて国の財政に大きく寄与したところから始まっている。その当時は日本は独立国ですらなく、政府にはまったく金がなかった。だから、理屈はともかく金が必要なんだって背景は理解できる。その宝くじをきっかけとして、競馬、競輪と増えていった。裁判所というのは、理屈として正しいかどうかだけを判断すべき機関で、政治的な判断は管轄外というのが日本の三権分立の仕組みなのだが、現実にはそうでもなく、国が金を必要としている状況には口を出せなかったんじゃないか、それも無理ないかなと思える。
ただ、最高裁判決が昭和50年代になっており、これはもう高度成長期も後半の時期だから、なぜ公営賭博の判決がそこまで遅くなって出されているのか疑問だし、その時期になってもその見解かよって気はする。
そして印象的だったのは、暴力団が地域住民に私設馬券を強要した話だ。
人口9万人あまりの千葉県木更津市で、街の三分の一が被害者となり、「借金のかたに店を取られた魚屋、小料理屋、倒産した旅館、店を奪われ自殺未遂を図って中央病院に入院した建材業の社長、息子の借金を返すため親戚、知人から金を借り、返済できず焼身自殺した元漁師、さらには木更津市の元収入役までもが息子の借金返済のために家や土地まで売った」(田原総一郎「月刊労働問題」一九七四年六月号)という。自己責任的な借金ではなく、無理やり購入を強要され、顔見知り程度の知人の借金の保証人も強要され、断ろうとすると山中に連れ出され日本刀を突きつけられるというひどさだった。
近代国家とは思えない状態で、まあ普通の人ならドンビキだろう。こういうことが日本のあちこちでおきていたと思うと、賭博=悪というイメージも無理ないかなと思う。この時期は、暴力団の主要な資金源が、博打から、麻薬密輸、銃器密輸、企業恐喝にシフトしつつある時期で、まだ博打の比重は高かった。博打で勝とうというのはプレイヤー側の発想で、確実に大きな金を作ろうとすると、こういうことになるわけだ。
この時期の刑法犯中の賭博は年間7千人等で、今は2百人とかそんなもん。それも野球賭博など。なので、犯罪の構成比が完全に変わっており、賭博という行為の社会的な存在感は果てしなく落ちているのが現状。
ここでもう一度著者のメインの主張に戻ろう。著者は賭博観は時代によって変わるとして、現状を過去から照らし出す。時代によっても階級性があって、支配階級と被支配階級は好む賭博の種類も違っていた。そして支配階級は賭博を楽しみながら、被支配階級に対しては部分的に禁止してコントロールする歴史であったとする。今の「公序良俗を乱し勤労の美風を崩す」という賭博観は、典型的な支配階級が被支配階級に対するプロパガンダであるとして一笑に付す。
著者のスタンスは学者であって、賭博罪を撤廃しろと主張する本ではないのだが、現状が適正な状態であるとはまるで思っていないらしい。(引用ここまで)
約200年も禁止されていたのに、日本中から愛され広まった花札!その歴史に迫る 2016.05.26
https://liginc.co.jp/279307
日本型カジノの現状と近未来 鹿内 武蔵[著]
どこまでが合法でどこからが違法? 日本における賭博の位置づけを整理してみる 2014/06/30 08:00
http://moneyzine.jp/article/detail/211204
生命保険はギャンブルだった?生命保険の意外な起源とは?
http://for-yourlife.com/life-insurance-458.html
『任天堂』の由来
http://www.geocities.co.jp/Playtown/4007/note_04.html
「賭博」は犯罪なのか?
賭博は「悪」か? 「必要悪」か? 玉木正之コラム「スポーツ編」バック
http://www.tamakimasayuki.com/sport/bn_160.htm