
平成三十年いらい四年ぶり、令和となって初めて、大阪四天王寺の師匠と嵐家の御先祖へ、挨拶に伺ふ。
折からの臺風十一號が氣になるところだったが、

今朝は窓を開けると虹が渡ってゐて、

心配は要らぬと確信す。
前回の挨拶はつひこの間と思ってゐたらもふ四年が過ぎ、その間にはミカドが代替はりして「平成」から「令和」へと元号も変はり、そして間もなく忌々しき人災疫病が海を渡って蔓延し、猖獗を極める。
四天王寺もその元年には開闢以来はじめて門を閉じざるを得なくなり、もしかしたらもふ師匠にも御先祖にも會へなくなるかと、あの時は本氣で心配す。

しかし、今日かうして挨拶に伺ふことが叶ったのも、疫病に勝ってゐないまでも時世をよく睨んで負けてはゐないゆゑと自負しつつ、やはり師匠と御先祖から来阪の許しを得られたゆゑと、感謝と御礼を述べる。
やうやく訪れた私の“第二の故郷”なれど、今回は四年ぶりに大阪驛に降り立った瞬間だけ懐かしく思ひ、

すぐにその景色が東京にゐる普段と同じ感覺で、私の心にスッと入ってきたのを面白く思ふ。

エスカレーターも、“通る人は左”と体がちゃんと憶えてゐて、私と“第二の故郷”は現在(いま)もしっかり結ばれてゐることを實感する。
かつて私の“仕事場”だった道頓堀は、人災疫病禍で夷人たちが駆除されたおかげにか、四年前に目撃したあの汚ならしいまでの景色がほぼ拂拭されてゐて、いくらか安堵する。

ただ、閉じた店舗の目についたことに、あれから四年後の現在を識る。
かつて私がこの街で見た“夢”は、初めに見てゐたものと形は違ふものになったが、しかし“主演者(シテ)になる”と云ふ根幹は、まず形にしてみせた。
まだ、“叶えた”まではいってゐない。
それは、これからのお樂しみ。

まずは今日の私に鍛へてくれた大阪に、
感謝!