東京都文京區本郷三丁目の交差點付近で、「本郷藥師」と額の掛かった門と、幅廣い道の脇にポツンと建つ小堂をその奥に見つけて、なんだらう、と寄り道す。

この一帯は戰前まで「眞光寺」といふ平安末期まで由緒を辿れる寺の境内云々、昭和二十年三月の東京大空襲により焼失の後は世田谷區給田に移転したが、件の小堂とその奥に坐(ましま)す十一面觀音像はそのまま當地に殘さるる。

(・が藥師堂の場所、・十一面觀音の場所)
戰中戰後のことで移転させるだけの資金(カネ)が無かったのか何なのか、やうするに置いてけぼりを喰ったと云ふことか。

件の小堂は江戸前期の寛文十年(1670年)に創建された藥師堂で、當時は廣く信仰を集めて縁日などの夜店も集まり、かなり賑はった云々。

明治四十年頃の古地図を見ると、現在はホテルや住宅が密立する該當箇所はたしかに「眞光寺」の境内に當っており、現在の藥師堂から門にかけての幅廣な道は、かつての参道の名殘りなのかもしれない。
藥師堂の脇から狭くなる道を少し進んで、四つ角を右に折れた先、マンションと住宅に囲まれた右手の狭い一画にやはり往年の名殘りであらう墓地があり、その脇に十一面觀世音菩薩像がおはします。

伸びた枝で正面を邪魔されてゐるのが氣の毒なこの觀音様は、江戸中期に有志の浄財によって建立云々、落ち着いたその容貌はいまの炎暑を一瞬でも忘れさせてくれるやうな安らぎを、たしかに覺ゆ。
出逢いとは偶然か必然か、後者を信じる私は、この感謝に想ひをこめて合掌す。