迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

當世美人画貶賛。

2021-11-13 17:16:00 | 浮世見聞記


商業施設の壁に掲げられてゐた、作り物の女のコたち。

雰囲気がよく似てゐるので、てっきり一人の作家の作品(もの)かと思ったら、四人が一點づつ手掛けたものと云ふ。

現今の街中でうんざりするほど見掛ける同じ“顔”の女のコたちを、そのまま繪にしたかのやうだ。

夏目漱石の「吾輩は猫である」にも、平凡な器量の若い女性につひて、“五分も外を歩ひてゐれば必ず會へる顔である”と云った感じの一文があった。


しかし。


私はこの描き物にふと足を止めたのだから、なんらかの個性をもった作り物たちではあるのだらう。



こちらの創作意欲を刺激されたとき、

その作り物は確かな“魂”を宿してゐることになる。







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