藤川宿を出てすぐ国道1号線に合流して十分ほど行くと、旧道は左に再び分かれて舞木町を通り(上段写真)、町外れでまた合流してその先の本宿町で、松並木と道標に従って右に逸れて行きます。
めざす赤坂宿は、かつてはこの本宿町にあったと云われ、
現在の町並みからいっても、そうかな、と思わせるものがあります。
しばらく行って「はうぜうじばし」を渡ったすぐ右手には、法蔵寺という古刹が。
ここには家康以前の松平家の墓と、京都で晒された近藤勇の首を同志が盗み出して葬ったと云う首塚が、静かに眠っています。
↑写真右の胸像のある場所が近藤勇の首塚、左奥が松平家とその忠臣の墓所で、双方に合掌。
本宿町を出ると、国道1号線を三十分ばかり進んで関屋信号付近で右に分かれ、LED電球で現役続行中の常夜灯を見ながら、
大榎、長沢、八王子と静かな集落を通って、藤川宿から一里九町(約6,7㎞)の赤坂宿に到着。
昔は旅籠の多い宿場だったそうで、建築用材に囲われた「大橋屋」など、
現在もその名残りを窺える家屋はいくらかあるものの、いまでは普通の集落のような佇まいとなっています。
赤坂宿を過ぎて一ノ橋を渡ると、天然記念物にもなっている“御油ノ松並木”が続いています。
さりながら、道幅のわりに車の往来が意外と多いため──対向車が来たらどちらかが幅寄せしなければすれ違えないほど!──、風情という点では、残念ながらよろしくありません。
めざす赤坂宿は、かつてはこの本宿町にあったと云われ、
現在の町並みからいっても、そうかな、と思わせるものがあります。
しばらく行って「はうぜうじばし」を渡ったすぐ右手には、法蔵寺という古刹が。
ここには家康以前の松平家の墓と、京都で晒された近藤勇の首を同志が盗み出して葬ったと云う首塚が、静かに眠っています。
↑写真右の胸像のある場所が近藤勇の首塚、左奥が松平家とその忠臣の墓所で、双方に合掌。
本宿町を出ると、国道1号線を三十分ばかり進んで関屋信号付近で右に分かれ、LED電球で現役続行中の常夜灯を見ながら、
大榎、長沢、八王子と静かな集落を通って、藤川宿から一里九町(約6,7㎞)の赤坂宿に到着。
昔は旅籠の多い宿場だったそうで、建築用材に囲われた「大橋屋」など、
現在もその名残りを窺える家屋はいくらかあるものの、いまでは普通の集落のような佇まいとなっています。
赤坂宿を過ぎて一ノ橋を渡ると、天然記念物にもなっている“御油ノ松並木”が続いています。
さりながら、道幅のわりに車の往来が意外と多いため──対向車が来たらどちらかが幅寄せしなければすれ違えないほど!──、風情という点では、残念ながらよろしくありません。