朝、窓を開けると外は本當に雪がうっすら積もってゐて、こりゃ参ったと思ふ。
が、午前中のうちに止んで曇天に薄陽が差せばこっちのもの、どの日に覗かうかと考へてゐた武州所澤の恒例古本市を覗きに行く。
ちょっとの時間覗くだけのつもりが、けっきょく時間とおカネを大いに遣ふのもまったく恒例、戻りに所澤驛からヒョイと乗った都心方面行きの西武線が、先頭車両の車内前方部が立席主体の仕様になってゐるいはゆる40000系で、樂しい車両に乗れたと今日の外出を幸運に思ふ。
乳母車や大荷物を抱へた乗客の利便性を考へての開發云々、座りたい人には居心地が惡い空間のやうだが、乗車中はヒトの流れに邪魔されることなく立って窓の外を眺めてゐたい私のやうなクチにはお誂え向きの空間、西武線を利用時に40000系が来ると、しめた! と思ふのである。
日本の鐵道が大々的にダイヤ改正を實施する三月十六日、西武鐵道では運転本數を“コロナ禍以前に戻す”云々、この文言にいよいよ浮世は人災疫病禍から立ち直ったことを實感す。
もちろん、疫病が終熄したなどとは思はない。
私の知るヒトのなかには、相變はらず性懲りの無いのもゐる。
だが令和の浮世は、用心と對峙は四年前からそのままに、新たな段階へと進んだのだ。
池袋の東京藝術劇場に寄ったつひでに、エントランスギャラリーの「東京空襲資料展」にも寄る。
防空マニュアル、焼け残った遺品、空襲下でも鐵道取扱は通常に行なふと明記された旅行者向け案内書──
非常時の苦難極まる下でも、生活を極力維持しやうとした一般國民たち、さうした人々を容赦なく上空から焼き殺した米軍爆撃機──
戰争など斷固反對だ。
こんな夷人ども相手にケンカなど、愚も愚ではないか!
改めて、
さう思った。