goo blog開始20周年、おめでたう存じます。
そして、ありがたう存じます。
出版物を通してでなければ自分の考へを文章化し、発表する方法(すべ)がなかったそれまでの時代に登場した“blog”は、誰にでも自分の“こゑ”を發信できる門戸を開いたと云ふ意味でも、實に画期的な發明であったと思ひます。
私が手猿樂師であり、鐵道愛好家であり、古道(跡)探訪家であり、文筆家氣取りでゐられるのは、まさにblogと云ふ發信文明のおかげにほかなりません。
私がgoo blogにおいて現在のブログを正式に立ち上げたのは平成二十年(2008年)八月のことですから、goo blogの誕生から四年後と云ふことになります。
私がそれまでゐた世界(組織)と斷然訣別したこの年の夏、或る方がこれからの情報發信の場にと、好意で開設してくれたのがこのブログの原型であり、當時は暫定的に「日々雑感」と云ふブログ名でしたが、のちに現在の「迦陵頻伽─ことだまのこゑ」に改め、筆者名も手猿樂師としての藝名と同じ、“嵐悳江”に揃へました。
このブログはあくまで、私から見た浮世を“氣ままに語る”ためのものであり、手猿樂師・嵐悳江の“公式ブログ”と云った性格のものではありません。
公式云々では、時にはハラにもないことを云はねばならぬ必要に迫られることがあり、それは決して私の心が許さないのです。
もふひと昔前になりますか、私に「誰が見るか分からないのだから」ともっともらしいことを云って、投稿内容に制限をかけやうとした年長者がゐました。
が、しばらくその人を觀察するうち、人のことをとやかく言へるほどの御仁ではないことを見極め、その人との縁を斷ち斬ったその日に、ブログ内容を旧に復したものでした。
「誰が見るか分からない」からこそ、誰に見られても臆すことのないことを表明するものであり、他人(ひと)の顔色を窺ひコソコソやヘコヘコなヒトは、初めから黙ってゐればよろしい。
とにかく、“氣ままに”ですから、それまでは更新も不定期でしたが、令和二年(2020年)早々に發生した人災疫病禍──いはゆる“新型コロナウイルス”の世界的流行(パンデミック)と云ふ、「今までに經験したことのない」國難下、自分はその日その時なにを感じ、なにを考へ、どふ行動したか、後日のために克明な記録を殘しておく必要性を強く感じたことで、このgoo blogを續ける意義も強まり、それから現在に續く毎日更新となりました。
現在(いま)讀み返すと、修正したいやうな箇所が散見したりしますが、その日その時に私が感じた率直な記録であるため、誤字脱字以外はまったく手を手を加えないことにしてゐます。
時世なのか、他社ではブログの運營を廢止する例のあるなか、このgoo blogは安定した運營を續けて下さってゐることは、ブログがすでに生活文化の一つとなってゐる私には、とても有り難いことです。
これが、運營會社が大手であることの強味であると感じております。
これからも、末永くよろしくお願いいたします。
User 嵐悳江