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菅谷宿跡を出発すると、やがて道は左折と直進下り坂とに分岐、児玉街道はそのまま直進。
東武東上線の踏切を渡って坂を下きると、志賀と云う地区に入ります。
ここから今度は上り坂に差し掛かろうと云うところで、右手に分かれる細道が(上段写真)。
これまでの経験から、「これが旧道だな…」 と読んで足を踏み入れてみると、住宅地に伸びるこの道はいかにも旧街道らしく蛇行しており、また入ってすぐ右手には、現在の風景からは不釣り合いな土蔵が。
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これこそ、この道がかつての中山道脇往還の名残りと確信して7分程行ったところで再び現道に合流、すぐ右手に庚申塔を久しぶりに見てさらに歩くこと約20分、比企郡小川町に入ってすぐの現道左脇に、たった数十メートルの、放物線状の細道が。
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これは間違いなく、拡幅工事の際にそこだけ予定コースから外されたために残った、かつての街道跡ですね。
東武東上線の踏切を渡って坂を下きると、志賀と云う地区に入ります。
ここから今度は上り坂に差し掛かろうと云うところで、右手に分かれる細道が(上段写真)。
これまでの経験から、「これが旧道だな…」 と読んで足を踏み入れてみると、住宅地に伸びるこの道はいかにも旧街道らしく蛇行しており、また入ってすぐ右手には、現在の風景からは不釣り合いな土蔵が。
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これこそ、この道がかつての中山道脇往還の名残りと確信して7分程行ったところで再び現道に合流、すぐ右手に庚申塔を久しぶりに見てさらに歩くこと約20分、比企郡小川町に入ってすぐの現道左脇に、たった数十メートルの、放物線状の細道が。
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これは間違いなく、拡幅工事の際にそこだけ予定コースから外されたために残った、かつての街道跡ですね。