放物線状に残る旧道から約10分程行った右手には三基の石塔があり、右側と真ん中は庚申塔、左側は古い道標で↑、表面に二列に彫られた字を見てみると、右側には
「川越道 本村ヲ經テ 菅谷約三十丁 〇〇(二字不明)谷三十丁」
そして左側には、
「児玉道 本村ヲ經テ男衾村今市約一里」
と、はっきり「児玉道」の文字が!
これこそ、この県道296号線がかつての児玉街道であることを示す、確かな証拠。
現在では失われたとばかり思っていた古えの街道の名が、まさかここでひっそりと生きていたとは思いもよらず、「おお…!」と一人感動。
確証を得たことで自信と元気が湧き、更に歩くこと約30分、奈良梨交差点で県道11号線を越えた先が、かつて奈良梨(ならなし)宿があったと考えられるエリア。
この辺りの道は、カーブとアップダウンが続くばかりで当時を偲ばせるような手掛かりは皆無、とりあえず地図上で中間点とされているあたりで写真を撮り、
そこからしばらく行くと、左手の木立のなかに、荒れ果てた盛り土が見えました。
頂きには富士浅間大神宮のお札がおさめられた祠、富士山信仰の象徴である富士塚の類いかしらと思いましたが、これまでの経験と勘から、忘れ去られたかつての一里塚と見えなくもなかったので、とりあえずこれも、写真に収めておきました。
「川越道 本村ヲ經テ 菅谷約三十丁 〇〇(二字不明)谷三十丁」
そして左側には、
「児玉道 本村ヲ經テ男衾村今市約一里」
と、はっきり「児玉道」の文字が!
これこそ、この県道296号線がかつての児玉街道であることを示す、確かな証拠。
現在では失われたとばかり思っていた古えの街道の名が、まさかここでひっそりと生きていたとは思いもよらず、「おお…!」と一人感動。
確証を得たことで自信と元気が湧き、更に歩くこと約30分、奈良梨交差点で県道11号線を越えた先が、かつて奈良梨(ならなし)宿があったと考えられるエリア。
この辺りの道は、カーブとアップダウンが続くばかりで当時を偲ばせるような手掛かりは皆無、とりあえず地図上で中間点とされているあたりで写真を撮り、
そこからしばらく行くと、左手の木立のなかに、荒れ果てた盛り土が見えました。
頂きには富士浅間大神宮のお札がおさめられた祠、富士山信仰の象徴である富士塚の類いかしらと思いましたが、これまでの経験と勘から、忘れ去られたかつての一里塚と見えなくもなかったので、とりあえずこれも、写真に収めておきました。