迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

藝は血筋だけで見せるものに非ず。

2017-09-12 21:28:22 | 浮世見聞記
横浜能楽堂の特別展「芸の俤 山田流と宝生流の名人たち」展を見る。


箏曲の山田流と能楽の宝生流、どこに接点があるのかと思ひきや、山田流の祖である山田検校は、宝生座の猿楽師の家の出身と伝はるるらしい。

そして山田流は、山田検校が家元となって創始したものではなく、彼の芸を慕ふ多くの門弟たちが技芸向上に励み、世間に広めていくうち、いつしかその箏曲が“山田流”と呼ばれるやうになったのださうな。


明治維新といふ、我が国の伝統文化最大の危機を乗り越へ、流儀の発展に尽くした山田流箏曲の名人たちの芸脈は、現在もそれぞれの家に、受け継がれてゐる。


しかし、この時代を能楽発展に尽くした宝生流能楽師の家は、宗家を除いて継承者がおらず、すべて絶えてゐる。

宝生流の名人の一人だった近藤乾之助のあとを継ひだ近藤乾三師が、最晩年につとめた舞囃子「清経」をわたしは観る機会に恵まれたが、かなりの高齢にもかかわらず立ち居振る舞ひの美しかったその姿は、現在(いま)も瞼に焼き付いてゐる。


伝統芸能におゐては、師の血縁でなくともその名人上手の芸や心意気を受け継ぐのに相応しい者であるならば、べつに問題はない。


大問題は、さういふ器でない者が、継承者の地位に納まることである……。
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