迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊―中山道84の2 大井宿

2014-05-22 18:49:06 | 旧中山道
岡瀬沢から甚兵衛坂を経て、「関戸の一里塚」跡を過ぎて菅原神社の前より石段を降り、ゆるやかな五妙坂を下ると、やがて左へ折れる枡形が。

ここが、大井宿の入口。

本陣はその先で右へ折れる枡形の左手にのこっていて(上段写真)、立派な甍を、塀越しにのぞむことができます。

大井宿は伊勢参りや善光寺参り、それに尾張へ向かう荷物などが集う、“美濃十六宿”でもっとも栄えた宿場だったそうで、



その面影は本町地区に遺る、かつての町並から窺えます。


この宿場は道が枡形に幾度も折れているのが特徴で、ちょうど“コ”の字を、向きを変えてくっつけたような具合になっています。


阿木川に架かる大井橋までが宿場ですが、町の中心は現在、川向こうのJR中央本線「恵那駅」前に移っています。

こちらは明治になってから拓けた土地で、かつては田野がひろがっていました。


この現在の繁華街をはずれたところには、一際目立つ建物が。



これは江戸時代、このあたりを中野村と云っていた頃の、旧庄屋宅。

この庄屋宅には、和宮降嫁の際、岩村代官よりその賄い役を強制されたことに腹を立てた野井村のある百姓が、行列が過ぎたあと、ここに滞在していた代官を斬りつけたと云う事件が伝わっています。


旧中山道を探訪していてつくづく思うのは、和宮下向にまつわるエピソードが、沿道の至るところに残されているということです。

彼女自身は預かり知らぬところで、彼女はあらゆる人々へ置き土産をされていったようで、私は京から江戸へと下ったこの内親王さまの足跡を、逆にたどっている―そんな気すらします。
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