西武拝島線「玉川上水驛」より徒歩約五分、靜かで平和そのものな都立東大和南公園を通るうち、木立の向かふに穴だらけの古いコンクリート建造物が姿を現し、ハッと胸を衝かれる。
前から訪ねたかった、東大和市指定文化財「旧 日立航空機株式會社變電所」が、これなり。
昭和十三年(1938年)、ガスや電氣器具、工作機械に自動車、航空機のほか兵器製造の総合企業であった東京瓦斯電氣工業株式會社が、航空機エンジンの増産のため建設した廣大な軍需工場に、電氣を送る變電所として敷地内に建てたもので、
(※室内及び展示物の撮影可)
一帯は太平洋戰争末期の昭和二十年(1945年)二月十七日午前十時三十分頃(但し諸説あり)、同四月十九日午前十時頃、わずか五日後の四月二十四日午前九時頃の三度にわたって激しい空襲に受け、
變電所も凄まじい銃撃にさらされる。
建物の外壁に無數の穴は、まさにその時の彈痕であり、
建物内部にまでそれが及んでゐるのを見るにおいて、
もう絶望しか殘ってゐなかったであらう當時の様子が、心に映るのである。
戰後、工場は社名を變更して平和産業に転換、變電所は銃撃を受けた姿のまま平成五年(1993年)末まで現役を貫き、
その後取り壊される計画であったが、數多の有志たちの努力によって戰災建造物として保存されることが決まり、改修補強工事を重ねながら、なおもキナ臭い浮世に警鐘を鳴らして、令和現在に至る。
太平洋戰争は八十年前の出来事となり、体験者の高齢化も進み、當時の話しを直接に聞けることは、宿命的に難しくなってきてゐる。
しかし、かうした建造物が厳粛に守られ續けることで、“目”からその体験を聞き續けられる。
今日の平和は何が礎となってゐるか──
外来觀光客たちよ、ニッポンへ来たならば、東京都東大和市櫻が丘2-167-18も検索して、足を運べ。