ラジオ放送で、大藏流山本家の狂言を聴く。
「節分」はその名もズバリな時候ネタ、節分に撒かれた豆を拾って食べやうと、蓬莱の島から日本へやって来た鬼は、一人で留守番をしてゐる人妻に懸想するが、思はせぶりに振る舞ふ人妻に一杯食はされて結局追ひ拂はれる、そんな鬼の人間臭さが樂しい戯画的狂言。
さて、本當の“鬼”とは、どちらで──?
「附子」は人間の禁じられた事こそやってみたくなる心理、そして狡猾的な機転を鮮やかに焙り出した狂言の代表作、私が學生時代に初めて接した作品でもある。
“附子(ぶす/ぶし)”とは毒性を持つヤマトリカブトのことだが、曲中でのそれは主人愛蔵の砂糖(水飴?)が正体。
私がヤマトリカブトが毒であることをはっきりと識ったのは、故人内田康夫のミステリー小説「天河伝説殺人事件」で、「道成寺」を舞ってゐた次期宗家の若手能樂師が舞臺上で突然死した原因が、“雨降らしの面”の裏に塗られてゐたそれを舐めたことによる云々。
實際日本でも、山中へ入れば自生してゐるそれを採取出来るらしい。
トリカブトではないが、昨年の夏頃に近所の空き地で見たことのない實をつけた植物を見かけたので調べたら、名前は忘れたがやはり毒性を持つ云々。
いまその空き地はきれいさっぱり草が刈り取られて何も無いが、命に関はる危険が案外身近に、ごく自然にあることが視覺的に分かってゾッとしたことではあった。