『◇防衛費増額の財源案のポイント

・復興特別所得税と法人税、たばこ税の3税を対象

・復興特別所得税の税率2・1%のうち1%程度を防衛費に充てる目的税に振り替え。課税期間は2037年から14年間延長し東日本大震災からの復興財源を確保

・法人税増税は税額に一律の税率を上乗せする「付加税」方式を採用。中小企業に配慮し、所得1000万円相当の税額控除を設ける

・たばこ税は国産葉タバコ農家への影響に十分配慮しつつ段階的に増税』──


要するに、國民負担に変はりなし。

東日本大震災の復興費から防衞費を捻出する手立てとして、期間限定の税目である復興所得税の徴収期間を2051年まで延長し、財源の確保を図る云々。

どうせ時世に便乗して搾り取るならば、せいぜい緩やかに、さり氣なくやっていただきたいものだ。

そこが、為政者としての腕の見せ所と云ふものだ。  

もちろん、勤労者たちの生活財源の保障もしっかり含めた上で。


「自分たちの國なのだから、自分たちでも守れ」、と云ふならば、なるほどさうしやう。

忘日、ラジオで「もし日本が露國のウクライナ侵攻のやうな事態に陥った時、國が防衞につとめることは當然として、國民ひとりひとりはどう對処するか、その考へと覺悟はあるのだらうか?」──なんでも為政者(クニ)任せでいいのか、と云ふ疑問を呈した人があるのを聞き、なるほど確かに、とは思った。




まさか各戸玄関に竹槍を常備、と云ふわけにもいくまい。

私は古への猿樂師たちがいかにして戰亂を潜り抜け自流の藝脈を今日まで守り傅へて着たのか、そのあたりにも範を求めてみたいと考へる。


これからは間接的にせよ防衞費を負担させられるのならば、“金主”として當然の權利として、相変はらずいつかのやうなミサイルが通過してから我々に警報が鳴るやうな防衞装置なぞを作ったら、今度こそハッキリと文句を云はせてもらふ。


来春の鐵道運賃値上げなどの報のなかでふと気付いたことだが、「値上げ」「國民負担」と云ふ表現ではさすがに國民感情を逆撫ですると思ったのか、最近は國民(利用者)に費用を『転嫁』と云ふ表現に置き換へる例を見かけるやうになった。

言葉を置き換へて真の狙ひを曖昧にし、衆庶の目を誤魔化さうとするのは、官とその先棒担ぎである報道屋の常套手段である。


ボンヤリと浮世を眺めてゐるだけでは、うっかりハメられさうで怖い。

なるほど今年の漢字が示す如く、『戦』な浮世だ。