「…あ、ごめんなさい。思いっきり語ってしまいましたね…」
「いいえ、立派な意志ですよ」
わたしのもう片方の手が、彼のもう片方の腕にかかって…。
「“明日の成功は、今日の努力にある”、ですよ」
福岡の日舞の先生の言葉です。
わたしのなかで芽生えた一つの決意は、彼と出逢ったことで、確固たるものになりました。
「“明日の成功は、今日の努力”…。いい言葉ですね」
そう言って彼は腕時計を見ると、
「あ…。そろそろ栗駒駅へ戻ろうと思います…。列車が動いているかわからないけれど、駅へ行けば何かわかるかもしれないし…」
彼は、列車を乗り継ぎながら東北地方を写生旅行していて、今は東京へ帰る途中にあった、と云うことを話しました。
「でも今朝、強風で貨物列車が横転して、東北本線が不通になってしまったじゃないですか。僕が乗ってた列車も、栗駒駅で運転取りやめになってしまって…。風は相変わらず強かったんで、午前中はずっと車内にいたんですけど、やっぱりお昼くらいからお腹が空いてきちゃって…」
そう言ってちょっと片瞳(め)をつぶってみせた彼に、わたしは自然と微笑を誘われていました。
「駅前にコンビニもないし、列車の運転再開まではかなりかかるみたいだし、幸い風も穏やかになってきたしで、じゃあいっそ途中下車して、何か食べ物でも売っていそうなお店を探しつつ、この辺の写生ポイントでもさがそうかなぁなんて、この町をぶらぶら歩いていたら、あの文化ホールのイベントに出くわしたんです…」
「ああ…」
「そうしたらちょうど、『伊豆の踊子』のお芝居が始まるところで」
「……」
わたしが代役騒動に慌てふためいているとき、この綺麗な青年“絵師”は、一人の旅人として、あそこをふらりと訪れていた…。
「とても面白いお芝居でしたよ」
「本当ですか?」
「ええ。ヒロインの扱いが上手いなぁ、って思いました」
わたし、の?
「セリフを多く喋らないことで、逆にその存在を際立たせている、って云うんですかね…」
「……」
「その狙いに、よく応えていたと思います。生意気なこと言うようですけど…」
「とんでもない…」
違うんです。
アレは。
そうじゃないんです…。
これが他の人だったら、わたしは即座に「ありがとうごさいます!」って愛想良くお辞儀していたと思います。
でも、彼に対しては、そういう気持ちになれませんでした。
何だか、彼を騙したような…、いや、騙している、そんな罪悪感が沸き起こってきて…。
「踊り、上手いんですね」
わたしは黙ったまま、小さくお辞儀する事しかできませんでした。
「あの、お座敷であなたが踊るシーンに、なんだかすごく感動して…」
ごめんなさい。
ごめんなさい!
あんなの、紛い物です。
「これを絵にすることが出来たらなぁ、なんて思ったりしました…」
わたしは、あなたのその綺麗な瞳に、“嘘”を映した…。
どこにも本当なんて無い、紛い物を…。
あんなのを、絵を描いてはいけない!
あなたまで、嘘つきになってしまう…!
「あなたの今のお言葉を返すわけじゃありませんけど、今日は“いいもの”を見させていただきました。…お世辞とかではなくてですよ」
心臓を鷲掴みにされるような思いと同時に、涙が滲み出て、溢れ落ちそうになって、でもそれを必死にこらえて…!
「あの時途中下車しなかったら、今あなたにこうして逢うこともなかったわけで…。これも巡り合わせ、御縁なのかな…」
御縁…。
「僕としては嬉しく思いました…、あ、気を悪くしたら、ごめんなさい…」
わたしがずっと口を開かないのを、彼は気にして顔を覗き込みました。
「あの、ヘンな気は、無いんです…」
「ええ、大丈夫ですよ。わかっています」
わたしもここで、またあなたに逢えて、嬉しかったです。
あなたは、心に嘘のない人。
瞳が、そう言っている…。
「よかった…」
はにかんだ表情を見せまいと、彼が下を向きながら、足元に置いたDバッグにスケッチブックを仕舞おうとする様子を、わたしは寂しいような気持ちで見詰めました。
人は出逢って。
そして別れて…。
なんか。
せつないな…。
〈続〉
「いいえ、立派な意志ですよ」
わたしのもう片方の手が、彼のもう片方の腕にかかって…。
「“明日の成功は、今日の努力にある”、ですよ」
福岡の日舞の先生の言葉です。
わたしのなかで芽生えた一つの決意は、彼と出逢ったことで、確固たるものになりました。
「“明日の成功は、今日の努力”…。いい言葉ですね」
そう言って彼は腕時計を見ると、
「あ…。そろそろ栗駒駅へ戻ろうと思います…。列車が動いているかわからないけれど、駅へ行けば何かわかるかもしれないし…」
彼は、列車を乗り継ぎながら東北地方を写生旅行していて、今は東京へ帰る途中にあった、と云うことを話しました。
「でも今朝、強風で貨物列車が横転して、東北本線が不通になってしまったじゃないですか。僕が乗ってた列車も、栗駒駅で運転取りやめになってしまって…。風は相変わらず強かったんで、午前中はずっと車内にいたんですけど、やっぱりお昼くらいからお腹が空いてきちゃって…」
そう言ってちょっと片瞳(め)をつぶってみせた彼に、わたしは自然と微笑を誘われていました。
「駅前にコンビニもないし、列車の運転再開まではかなりかかるみたいだし、幸い風も穏やかになってきたしで、じゃあいっそ途中下車して、何か食べ物でも売っていそうなお店を探しつつ、この辺の写生ポイントでもさがそうかなぁなんて、この町をぶらぶら歩いていたら、あの文化ホールのイベントに出くわしたんです…」
「ああ…」
「そうしたらちょうど、『伊豆の踊子』のお芝居が始まるところで」
「……」
わたしが代役騒動に慌てふためいているとき、この綺麗な青年“絵師”は、一人の旅人として、あそこをふらりと訪れていた…。
「とても面白いお芝居でしたよ」
「本当ですか?」
「ええ。ヒロインの扱いが上手いなぁ、って思いました」
わたし、の?
「セリフを多く喋らないことで、逆にその存在を際立たせている、って云うんですかね…」
「……」
「その狙いに、よく応えていたと思います。生意気なこと言うようですけど…」
「とんでもない…」
違うんです。
アレは。
そうじゃないんです…。
これが他の人だったら、わたしは即座に「ありがとうごさいます!」って愛想良くお辞儀していたと思います。
でも、彼に対しては、そういう気持ちになれませんでした。
何だか、彼を騙したような…、いや、騙している、そんな罪悪感が沸き起こってきて…。
「踊り、上手いんですね」
わたしは黙ったまま、小さくお辞儀する事しかできませんでした。
「あの、お座敷であなたが踊るシーンに、なんだかすごく感動して…」
ごめんなさい。
ごめんなさい!
あんなの、紛い物です。
「これを絵にすることが出来たらなぁ、なんて思ったりしました…」
わたしは、あなたのその綺麗な瞳に、“嘘”を映した…。
どこにも本当なんて無い、紛い物を…。
あんなのを、絵を描いてはいけない!
あなたまで、嘘つきになってしまう…!
「あなたの今のお言葉を返すわけじゃありませんけど、今日は“いいもの”を見させていただきました。…お世辞とかではなくてですよ」
心臓を鷲掴みにされるような思いと同時に、涙が滲み出て、溢れ落ちそうになって、でもそれを必死にこらえて…!
「あの時途中下車しなかったら、今あなたにこうして逢うこともなかったわけで…。これも巡り合わせ、御縁なのかな…」
御縁…。
「僕としては嬉しく思いました…、あ、気を悪くしたら、ごめんなさい…」
わたしがずっと口を開かないのを、彼は気にして顔を覗き込みました。
「あの、ヘンな気は、無いんです…」
「ええ、大丈夫ですよ。わかっています」
わたしもここで、またあなたに逢えて、嬉しかったです。
あなたは、心に嘘のない人。
瞳が、そう言っている…。
「よかった…」
はにかんだ表情を見せまいと、彼が下を向きながら、足元に置いたDバッグにスケッチブックを仕舞おうとする様子を、わたしは寂しいような気持ちで見詰めました。
人は出逢って。
そして別れて…。
なんか。
せつないな…。
〈続〉