迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

「偲姿―オモカゲ―」19

2010-02-24 11:33:39 | 戯作
「…あ、ごめんなさい。思いっきり語ってしまいましたね…」

「いいえ、立派な意志ですよ」

わたしのもう片方の手が、彼のもう片方の腕にかかって…。

「“明日の成功は、今日の努力にある”、ですよ」

福岡の日舞の先生の言葉です。

わたしのなかで芽生えた一つの決意は、彼と出逢ったことで、確固たるものになりました。

「“明日の成功は、今日の努力”…。いい言葉ですね」

そう言って彼は腕時計を見ると、

「あ…。そろそろ栗駒駅へ戻ろうと思います…。列車が動いているかわからないけれど、駅へ行けば何かわかるかもしれないし…」

彼は、列車を乗り継ぎながら東北地方を写生旅行していて、今は東京へ帰る途中にあった、と云うことを話しました。

「でも今朝、強風で貨物列車が横転して、東北本線が不通になってしまったじゃないですか。僕が乗ってた列車も、栗駒駅で運転取りやめになってしまって…。風は相変わらず強かったんで、午前中はずっと車内にいたんですけど、やっぱりお昼くらいからお腹が空いてきちゃって…」

そう言ってちょっと片瞳(め)をつぶってみせた彼に、わたしは自然と微笑を誘われていました。

「駅前にコンビニもないし、列車の運転再開まではかなりかかるみたいだし、幸い風も穏やかになってきたしで、じゃあいっそ途中下車して、何か食べ物でも売っていそうなお店を探しつつ、この辺の写生ポイントでもさがそうかなぁなんて、この町をぶらぶら歩いていたら、あの文化ホールのイベントに出くわしたんです…」

「ああ…」

「そうしたらちょうど、『伊豆の踊子』のお芝居が始まるところで」

「……」

わたしが代役騒動に慌てふためいているとき、この綺麗な青年“絵師”は、一人の旅人として、あそこをふらりと訪れていた…。

「とても面白いお芝居でしたよ」

「本当ですか?」

「ええ。ヒロインの扱いが上手いなぁ、って思いました」

わたし、の?

「セリフを多く喋らないことで、逆にその存在を際立たせている、って云うんですかね…」

「……」

「その狙いに、よく応えていたと思います。生意気なこと言うようですけど…」

「とんでもない…」

違うんです。

アレは。

そうじゃないんです…。

これが他の人だったら、わたしは即座に「ありがとうごさいます!」って愛想良くお辞儀していたと思います。

でも、彼に対しては、そういう気持ちになれませんでした。

何だか、彼を騙したような…、いや、騙している、そんな罪悪感が沸き起こってきて…。

「踊り、上手いんですね」

わたしは黙ったまま、小さくお辞儀する事しかできませんでした。

「あの、お座敷であなたが踊るシーンに、なんだかすごく感動して…」

ごめんなさい。

ごめんなさい!

あんなの、紛い物です。

「これを絵にすることが出来たらなぁ、なんて思ったりしました…」

わたしは、あなたのその綺麗な瞳に、“嘘”を映した…。

どこにも本当なんて無い、紛い物を…。

あんなのを、絵を描いてはいけない!

あなたまで、嘘つきになってしまう…!

「あなたの今のお言葉を返すわけじゃありませんけど、今日は“いいもの”を見させていただきました。…お世辞とかではなくてですよ」

心臓を鷲掴みにされるような思いと同時に、涙が滲み出て、溢れ落ちそうになって、でもそれを必死にこらえて…!

「あの時途中下車しなかったら、今あなたにこうして逢うこともなかったわけで…。これも巡り合わせ、御縁なのかな…」

御縁…。

「僕としては嬉しく思いました…、あ、気を悪くしたら、ごめんなさい…」

わたしがずっと口を開かないのを、彼は気にして顔を覗き込みました。

「あの、ヘンな気は、無いんです…」

「ええ、大丈夫ですよ。わかっています」

わたしもここで、またあなたに逢えて、嬉しかったです。

あなたは、心に嘘のない人。

瞳が、そう言っている…。

「よかった…」

はにかんだ表情を見せまいと、彼が下を向きながら、足元に置いたDバッグにスケッチブックを仕舞おうとする様子を、わたしは寂しいような気持ちで見詰めました。

人は出逢って。

そして別れて…。

なんか。

せつないな…。




〈続〉
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