八千草薫さんが、今月二十四日の午前に膵臓癌で亡くなったことを知る。
この宝塚出身の大女優の名に接すると、必ず彼女のファンだった師匠のことを思ひ出す。
やはり元宝塚女優を姉に持つ師匠は、まう二十年も前になるが、人との会話のなかで、八千草薫さんの娘役時代から変はらぬ容姿の美しさにつひて、
「舞台やったら、まだまだ娘役いけるで」
と心底賞賛してゐるのを聞ひて、正直なところ驚ひたものだ。
その師匠は誕生日とすぐそこまで迫った新世紀を迎へずして急逝し、私は突然のことに先行きも見通せないまま年を越して日を送り、そのうちに一篇の映画に出逢った。
『天国までの百マイル』
といふ浅田次郎原作の作品で、八千草薫さんは病ひに倒れる母親役で出演しておられた。
私がなぜその映画を観やうといふ気になったのか、正確な理由は思ひ出せない。
たぶん、師匠が生前にファンだった八千草薫さんを観ることで、あまりにも突然に逝ってしまった師匠を偲びたかったのだらうと思ふ。
劇中で八千草薫さん演じる母親は、奇しくも師匠と同じ病ひに倒れるが、時任三郎さん演じる息子の努力の甲斐あって名医の手術を受けられることになり、そしてみごと治癒する。
「血管をつなぎ換ゑるバイパス手術」により八千草薫さん演じる母親は助かったのだが、もし師匠もこの映画に出てくるやうな名医の執刀を受けていたら、助かってゐたことだらう……──
浮世はすべて皮肉の連続で成立してゐる真実を、私はこの時に初めて學んだやうな気がする。
その後もTVなどで八千草薫さんを見るたびに師匠を思ふことは変はりなく、時は移りて今日の訃報に接する。
天國で、おそらく師匠は八千草薫さんに会ひに行ったことだらう。
合掌