僕がおや、と思っているうちに、熊橋老人が盆に湯呑みを載せて戻って来た。
僕は「ありがとうございます……」とお茶をいただきながら、
「熊橋さんは、この奉納歌舞伎に出られたことは?」
と訊ねてみた。
「ワシは、出ていないんですわ」
思いがけない答えが返ってきた。「ワシが子どもの頃言うたら、ちょうど太平洋戦争中やさかい、戦争中は、祭りはずっと中止やったんですわ……」
「それは……、失礼しました」
「いいんですわ。そういう時代やったさかい……。仕方のないこってす。せやけど戦後になって、奉納歌舞伎を復活させようと奔走していた父親の姿は、はっきりと憶えています」
「そうですか……」
僕はお茶を一口啜った。
そして、もういちど鴨居の写真を見上げた。
「八幡宮の社殿は、こういうつくりだったんですね。それにしても、全焼は惜しかったですね……」
それを前置きに、全焼の事情について、それとなく探るつもりだった。
しかし熊橋老人は、
「まあ、失ったものはしょうがないですわ……。ところで下書きは、鉛筆でも大丈夫ですか?」
と、あきらかに話を逸らせたい様子を見せた。
今はよそ者があまり立ち入らないほうがよさそうだ、と僕は思い直した。
「そうですね、なるべく色の薄い鉛筆で…」
僕は湯呑みを盆に戻すと、熊橋老人が奥から持って来た鉛筆を借りて、さっそく下絵に取りかかることにした。
能舞台背面の鏡板に描かれている松は、「久」の字を裏返しにした形を基本とする、と云う。
が、僕は知識としてそれが頭にあるだけで、実際に描いたことはない。
僕は布地を凝視して、どういうバランスでいくかを考えた。
そのあいだ熊橋老人は部屋の隅に座り、様子を見ていたが、僕がなかなか描き出さないことで退屈になったらしい。
「ちょっと、用事を済ませてきます……」
すぐに戻りますので、と言い置いて、外へと出て行った。
熊橋老人がいなくなり、部屋に一人になったことで、僕は急に気が楽になって、大きく息をついた。
僕はつねに、作品に取り掛かるときは一人で部屋に籠りきりになる。
正直なところ、部屋の片隅に人がいて、こちらを見ていられたのでは、失敗のないよう監視されているようで、やりづらくて仕方ないのだ。
「さて……」
僕は改めて布地を見つめた。
やはり、一人のほうがパッとイメージが湧く。
僕はまず、スケッチブックにイメージをしたためて、それから一気呵成に、布地に鉛筆を走らせた。
松ならば、これまでに幾度も、作品のなかに描いている。
それを、何倍にも大きく、大胆に……。
基本線のまわりに、幹、根っこ、枝、針葉と肉付けし、老松の姿に整えていく。
それらしい姿が見えてきたところで、僕は一度鉛筆をおいて、ウンと伸びをした。
仰向くと、目線の先には鴨居に飾られた、例の記念写真。
そのなかの嵐昇菊が、ちょうど視界に入った。
歌舞伎の没落した名門に生まれたがため、劇界で不遇な扱いを受けた果ての、廃業。
その後は、この片田舎の農村歌舞伎の師匠に活路を見出だし、そして娘を一人授かり……。
「ん?」
僕は、あの日の金澤あかりの話しを思い返した。
嵐昇菊が死亡したのは、自分が中一の時だと言っていた。
つまり、八年前。
それは、彼女が“女人禁制”の奉納歌舞伎に、一度だけ参加した年でもある。
そして、朝妻八幡宮が全焼した年でも……。
僕は立ち上がると、もう一度記念写真を見上げた。
これらの出来事は、すべて、なんらかの関係があるのではないだろうか?―
そして嵐昇菊の死後、奉納歌舞伎の師匠は、誰が代わったのだろう―?
続
僕は「ありがとうございます……」とお茶をいただきながら、
「熊橋さんは、この奉納歌舞伎に出られたことは?」
と訊ねてみた。
「ワシは、出ていないんですわ」
思いがけない答えが返ってきた。「ワシが子どもの頃言うたら、ちょうど太平洋戦争中やさかい、戦争中は、祭りはずっと中止やったんですわ……」
「それは……、失礼しました」
「いいんですわ。そういう時代やったさかい……。仕方のないこってす。せやけど戦後になって、奉納歌舞伎を復活させようと奔走していた父親の姿は、はっきりと憶えています」
「そうですか……」
僕はお茶を一口啜った。
そして、もういちど鴨居の写真を見上げた。
「八幡宮の社殿は、こういうつくりだったんですね。それにしても、全焼は惜しかったですね……」
それを前置きに、全焼の事情について、それとなく探るつもりだった。
しかし熊橋老人は、
「まあ、失ったものはしょうがないですわ……。ところで下書きは、鉛筆でも大丈夫ですか?」
と、あきらかに話を逸らせたい様子を見せた。
今はよそ者があまり立ち入らないほうがよさそうだ、と僕は思い直した。
「そうですね、なるべく色の薄い鉛筆で…」
僕は湯呑みを盆に戻すと、熊橋老人が奥から持って来た鉛筆を借りて、さっそく下絵に取りかかることにした。
能舞台背面の鏡板に描かれている松は、「久」の字を裏返しにした形を基本とする、と云う。
が、僕は知識としてそれが頭にあるだけで、実際に描いたことはない。
僕は布地を凝視して、どういうバランスでいくかを考えた。
そのあいだ熊橋老人は部屋の隅に座り、様子を見ていたが、僕がなかなか描き出さないことで退屈になったらしい。
「ちょっと、用事を済ませてきます……」
すぐに戻りますので、と言い置いて、外へと出て行った。
熊橋老人がいなくなり、部屋に一人になったことで、僕は急に気が楽になって、大きく息をついた。
僕はつねに、作品に取り掛かるときは一人で部屋に籠りきりになる。
正直なところ、部屋の片隅に人がいて、こちらを見ていられたのでは、失敗のないよう監視されているようで、やりづらくて仕方ないのだ。
「さて……」
僕は改めて布地を見つめた。
やはり、一人のほうがパッとイメージが湧く。
僕はまず、スケッチブックにイメージをしたためて、それから一気呵成に、布地に鉛筆を走らせた。
松ならば、これまでに幾度も、作品のなかに描いている。
それを、何倍にも大きく、大胆に……。
基本線のまわりに、幹、根っこ、枝、針葉と肉付けし、老松の姿に整えていく。
それらしい姿が見えてきたところで、僕は一度鉛筆をおいて、ウンと伸びをした。
仰向くと、目線の先には鴨居に飾られた、例の記念写真。
そのなかの嵐昇菊が、ちょうど視界に入った。
歌舞伎の没落した名門に生まれたがため、劇界で不遇な扱いを受けた果ての、廃業。
その後は、この片田舎の農村歌舞伎の師匠に活路を見出だし、そして娘を一人授かり……。
「ん?」
僕は、あの日の金澤あかりの話しを思い返した。
嵐昇菊が死亡したのは、自分が中一の時だと言っていた。
つまり、八年前。
それは、彼女が“女人禁制”の奉納歌舞伎に、一度だけ参加した年でもある。
そして、朝妻八幡宮が全焼した年でも……。
僕は立ち上がると、もう一度記念写真を見上げた。
これらの出来事は、すべて、なんらかの関係があるのではないだろうか?―
そして嵐昇菊の死後、奉納歌舞伎の師匠は、誰が代わったのだろう―?
続