迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ごゑんきゃうげん12

2017-03-30 04:54:40 | 戯作
相当に古い石の鳥居を出た先が、旧朝妻宿だった。

昔ながらの家並みがそのまま残る―

と言うと、木曽路の旧宿場のような、むかしの情緒たっぷりの光景を連想するかもしれない。

しかし旧朝妻宿のそれは、特に改築する必要もないままに時が過ぎ、その結果として当時の家屋が現代に残ったと云うだけの、古臭く寂れた集落にすぎなかった。

“過疎”

まず僕の頭に浮かんだ言葉が、それだった。

朝妻八幡宮の社殿が焼失して八年が経った現在も、プレハブの仮設社殿である理由が、大いに納得できた。

つまりこれが、田舎町の現実だ……。

そしてここには、人が生活している“匂い”が、まったく感じられなかった。

こんな土地に、人と文化が本当にあるのだろうか……?

僕は不審を感じながら、ふと道沿いの一軒の民家を見ると、玄関の格子戸が、少し開いていることに気がついた。

その途端、格子戸はピシャッと、鋭い音を立てて閉まった。

僕はびっくりして、飛び上がりそうになった。

いまのは明らかに、僕の視線を拒否する閉まり方だった。

しかし僕はそれ以上に、なかに人が住んでいた―当然と言えば当然と言えるはずのことに、驚いたのだった。

「近江さん、ここです」

今の一幕を知ってか知らずか、熊橋老人は何気ないふうに、『朝妻町集会所』と表札の掲げられた真新しい二階家を示した。


戸を開けてなかに通されると、一階は畳敷きの大広間となっており、そこには沈んだ黄色に塗られた大きな一枚の布地が、部屋いっぱいに敷かれていた。

それが描きかけの松羽目であることは、すぐにわかった。

「実は、毎年大道具を担当していた人が先日、腕を骨折して、筆がとれんようになってしもうたんですわ……」

それで急遽、代役ならぬ“代筆”が必要になったわけか。

なんであれ、己の持てる技で人助けができるなら、それに越したことはない。

「しかし、こうして近江さんと云う、東京のプロの画家の方にお会い出来たのも、八幡さんのお引き合わせかもしれませんな」

そう言うわりには、先ほどプレハブの社殿を、そそくさと通り過ぎていたが……。

「これからお茶を淹れますさかい、まぁとりあえず一休みしましょうか……」

そう言って熊橋老人は、台所へと立って行った。

大広間の鴨居を見上げると、在りし日の八幡宮を背後に撮影された奉納歌舞伎の集合写真が、左から右へと額入りで、年代順に飾られていた。

歌舞伎の扮装をした子どもたちが前列に、後列には紋付き袴姿の大人たちが、白黒画面のなかに厳かな表情で並んでいる。

写真は途中からカラーとなり、いくら毛髪在りし日の熊橋老人も、そのなかに見つけた。

そして、嵐昇菊の姿もあった。

インターネットで見たポートレートより、いくぶん顔立ちが老けて見えるのは、やはり境遇によるものか。

つぎにその娘―金澤あかりを探した。

しかし僕は、彼女がどんな演目のどんな役で出たのか、聞いていないことに気が付いた。

写真にあるような、歌舞伎化粧をごてごてと施された顔から当人を見つけだすのは、かなり難しい。

が、金澤あかりが参加した八年前の写真を見れば、なんとか見つけられるかもしれない。

写真にはそれぞれ、撮影した年月日を記した付箋が添えてある。

ところが、八年前にあたる年の集合写真だけが、飾られていないのだった……。


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