謡坂を下ると、再び車道に合流。
緩やかな坂を下りながら、耳の病に効くという珍しい「耳神社」を、右手の崖上に見て過ぎます。
やがて右折して山道へ入ると、あまりの急坂に牛が鼻をこすって欠いたことからその名が付いたとされる、「牛の鼻かけ坂」に(上段写真)。
この急坂を下れば、あとは京まで、道は比較的なだらかとなります。
思えば碓氷峠からここまで、山道につぐ山道でした。
実際に歩いてみて、
「なんで昔の人は、こんな悪路ばかりをとったのだろう……?」
疑問におもうことが度々でしたが、
「敵に江戸へ容易に攻め込ませないため」
という軍事的理由もあったことを知り、ようやく納得。
平坦な道を淡々と40分ほど行けば、細久手宿から三里(約12㌔)の御嵩(みたけ)宿に、やっと到着です。
御嵩宿には現在、名鉄広見線というローカル線の終着駅がありますが、これといった賑わいはありません。
次の伏見宿までの一里(約4㌔)は、三箇所だけわずかに旧道部分が遺っている以外、ほとんど国道21号線を直進します。
廃線となった名鉄線跡を越えて坂を上がると、伏見宿に到着。
すぐ左手の伏見公民館が、かつての本陣でした。
往年を思わせる家屋がわずかに残っているだけで、すぐに坂を下って宿はずれに。
次の太田宿までは二里(約8㌔)の距離で、前半は国道21号線を、後半の今渡(いまわたり)地区あたりからは旧道を辿り、やがて道を折れて弘法堂の下より、「今渡の渡し」にさしかかります。
緩やかな坂を下りながら、耳の病に効くという珍しい「耳神社」を、右手の崖上に見て過ぎます。
やがて右折して山道へ入ると、あまりの急坂に牛が鼻をこすって欠いたことからその名が付いたとされる、「牛の鼻かけ坂」に(上段写真)。
この急坂を下れば、あとは京まで、道は比較的なだらかとなります。
思えば碓氷峠からここまで、山道につぐ山道でした。
実際に歩いてみて、
「なんで昔の人は、こんな悪路ばかりをとったのだろう……?」
疑問におもうことが度々でしたが、
「敵に江戸へ容易に攻め込ませないため」
という軍事的理由もあったことを知り、ようやく納得。
平坦な道を淡々と40分ほど行けば、細久手宿から三里(約12㌔)の御嵩(みたけ)宿に、やっと到着です。
御嵩宿には現在、名鉄広見線というローカル線の終着駅がありますが、これといった賑わいはありません。
次の伏見宿までの一里(約4㌔)は、三箇所だけわずかに旧道部分が遺っている以外、ほとんど国道21号線を直進します。
廃線となった名鉄線跡を越えて坂を上がると、伏見宿に到着。
すぐ左手の伏見公民館が、かつての本陣でした。
往年を思わせる家屋がわずかに残っているだけで、すぐに坂を下って宿はずれに。
次の太田宿までは二里(約8㌔)の距離で、前半は国道21号線を、後半の今渡(いまわたり)地区あたりからは旧道を辿り、やがて道を折れて弘法堂の下より、「今渡の渡し」にさしかかります。