志村けんさんの急逝を知って、今日で一年が経った(亡くなったのは三月二十九日)。
午前十時に家族からのメールでその訃報に接した途端、全身から力が抜けて何も手に付かなくなったことは、たった今のことのやうに憶えてゐる。
支那渡来の疫病で亡くなった初めての藝能人であり、また「感染者を一人確認と發表されたら、實際には十人ゐると思へ」と云ふ情報のほか具体的なことがよく解らなかったこの疫病が、實はこの上なくとんでもないシロモノであることを認識させられた、初めての“事件”でもあった。
『國民みんなが遺族みたいなものだから……』
さう云った忘藝能人の言葉が、この現實をよく表してゐると私は思ふ。
しかし。
あれから僅か一年のうちに、感染擴大の波が三度襲って現在は四度目の始まりにあり、また“お手上げ宣言”を二度發出して、その二度目は早くも「自粛疲れ」などと抜かす實は初めからなにも自粛してゐない腰抜けどものためになし崩しとなった有様。
この疫病に“変異株”が現れるなど、あのとき誰が想像したらう?
そして現在のワクチンでは、“第4波”を抑へる効果は「限定的」だと云ふ。
しかしさういふ事態を生み出したのは、ニンゲン自身なのである!
志村けんさんの急逝は、いまや浮世では余所事(ひとごと)になってゐる──
残念なことだが、私はさう思はざるを得ない。