
追分を過ぎて泊(とまり)地区に入ると、道の両側には隣りの日永地区にかけて、低い土手に松並木が続いていたそうですが、現在では松並木の代わりに住宅がギリギリまで迫る、生活道路となっています。
が、日永5-12あたりにわずか一本だけ、古えの時代を偲ばせる松が残っています(上段写真)。
道幅のわりに車の交通量が多いなか、日永から赤堀地区を通り、

次の南浜田町から中浜田町にかけて古い民家が残る地区を過ぎると近鉄四日市駅前の繁華街、いよいよ四日市宿へと入って行きます。

立場がおかれていた諏訪神社周辺はアーケード商店街となっており、

ここを抜けて国道1号線を渡り、中部6の角を左折する右手の角には、少し斜めに振って立つ道標が。

これはかつての道筋が、諏訪神社門前からここまで、斜めに伸びていたためです。
道標を過ぎて国道164号線を渡った先の北町が、かつては陣屋や本陣が集まる宿場の中心部でしたが、現在は個人商店の集まる地域で、ここから三滝橋を渡って、

三里八町(12.7㎞)先の桑名宿を目指します。
ちなみに、“桑名の焼蛤”は桑名ではなく、ここ四日市あたりでマツボックリを燃料に焼いて、売っていたそうです。
が、日永5-12あたりにわずか一本だけ、古えの時代を偲ばせる松が残っています(上段写真)。
道幅のわりに車の交通量が多いなか、日永から赤堀地区を通り、

次の南浜田町から中浜田町にかけて古い民家が残る地区を過ぎると近鉄四日市駅前の繁華街、いよいよ四日市宿へと入って行きます。

立場がおかれていた諏訪神社周辺はアーケード商店街となっており、

ここを抜けて国道1号線を渡り、中部6の角を左折する右手の角には、少し斜めに振って立つ道標が。

これはかつての道筋が、諏訪神社門前からここまで、斜めに伸びていたためです。
道標を過ぎて国道164号線を渡った先の北町が、かつては陣屋や本陣が集まる宿場の中心部でしたが、現在は個人商店の集まる地域で、ここから三滝橋を渡って、

三里八町(12.7㎞)先の桑名宿を目指します。
ちなみに、“桑名の焼蛤”は桑名ではなく、ここ四日市あたりでマツボックリを燃料に焼いて、売っていたそうです。