ラジオ放送で、寶生流の「天鼓」を樂しむ。
妙音なる鼓を寄越せとの皇帝の意に従はなかったがゆゑ川へ沈められた少年と、現世に残された老父との“天鼓”を通した情愛、そして前非を悔ひた皇帝が催す法要の場に現れた件の少年の靈が、樂しげに天鼓を打ち戯れる、星の夜の唐國噺。
沈痛な雰囲気で始まり、その思ひの昂りが奇跡を呼び、後半の華やかな遊樂へと運んでいく。
私はこの能を、いまは無い渋谷區松濤の舞台で観てゐるはずだが、この時の忘流の演能會を招待券か何かで来たらしい學生團体が、休憩時間に辟易した聲を發してゐたこと以外に記憶がない。
そもそも私は、この時期に毎月觀てゐたはずの舞台を、ほとんど記憶してゐない。
理由はちゃんと知ってゐる。
それは數年後、自らの手で自由に演じる猿樂を立ち上げることへと、つながっていくからだ。