迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

めしあがりはおあついうちに。

2016-09-10 20:41:39 | 浮世見聞記
町田市立国際版画美術館の企画展、「諷刺画って面白い?」を見る。


今はむかし、革命後の混沌としたフランスにおゐて、諷刺画専門紙に掲載されてゐた作品をメインに紹介。

政治家や官僚たちの、皮肉たっぷりな似顔絵の数々が傑作で、もとの顔を知らなくとも、本人たちの性格までが読み取れさうだ。

この企画展の狙ひである、

「諷刺画を芸術として鑑賞することは可能か?」

について、この部分におゐては芸術性を見出せなくもない。


しかし、諷刺画はしょせんキワモノ。

その事件に対して世間が熱くなってゐるときだけ、その絵は生きてくる。

時間(とき)が過ぎ、熱も醒め、世間が事件を忘れた途端、その絵はただドギツイだけの、中傷じみた落書きにしか過ぎなくなる。

冷めた料理が不味くなるのと同じだ。


はからずもそれらの諷刺画は、政治とは国民から非難されてナンボの“必要悪”であることを、こんにちの我々に示してゐるわけである。




政治の諷刺画を政府から禁じられたこの画家は後年、愛する我が子のために頑張る父親の姿をスケッチした作品集「パパたち」を発表する。

そのなかに、乳母車をひく父親の様子を描いた作品があり、タイトルがまた奮ってゐる。


『父親とは神が与えた生まれついての馬だ!』


近年、“イクメン”などといふ奇妙な言葉が世間に蔓延し、妻の代わりに率先してベビーカーを押したり、朝夕にスーツ姿で乳児を前に縛り付けて歩く若い父親を、いやに見かけるやうになった。

上のタイトルが示すごとく、父親といふものはしょせん、今も昔も損ばかりの悲しい役どころなのだ。
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