迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

人の冬鏡。

2021-10-19 12:50:00 | 浮世見聞記
夏に繁茂して長らく視界を遮ってゐた堤道の草がやうやく刈り取られ、おかげで道幅も擴がり歩きやすくなる。



秋口に地元民とおぼしき方が一部を刈ってゐる姿を見かけ、後ろを通りながら目礼したものだが、間もなく再び生え茂り、植物の貪欲な生命力には舌を巻いたものだった。


行政が私たちの納めた税金で行なった草刈り、當然と云へば當然だが、「ありがたう」くらゐは思ふ。

作業をしたのは「人」なのだから。




空氣はすっかり入れ替はり、もはや夏日は過去となった。

それどころか、冬の服装を考へねばならぬ今日の氣温。



その冬の服装は、姿勢が惡いと特に貧乏臭く映るので要注意だ。


他人(ひと)の姿は自分の鏡代はり、

便利に使はねばの。



今冬はだうやらオーバーサイズな服を賣り込みたいらしい。

が、すでに着てゐるいづれもが、全く似合ってゐない。

おそらく、我が身を鏡に映すと云ふ文化が無いのだらう。


ヒトが服を選ぶのではなく、

服がヒトを選んでゐることを、

浮世の見せたがり見られたがりはよく心得ておくことだ。





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