
神奈川県三浦市南下浦町菊名に伝わる、県無形文化財の「飴屋踊り」を観る。
京浜急行久里浜線の三浦海岸駅を降りて、相模湾の潮騒を聴きながら砂浜に沿って歩くこと二十分、山側に折れた先に昔ながらの長閑な景色が広がる。

その丘の上に鎮座する白山神社の祭礼で奉納されるのが、件の「飴屋踊り」だ。
江戸末期、行商の飴売りが客寄せのために街頭で見せた歌舞芸が農漁村に流入し、いま見る形になったと考へられ、当地には“飴与三”と云ふ飴売りが伝へたと言はれてゐる。
開口一番は「白松粉屋(しらまつこなや)」といふ手踊り。

地元の小学生たちが手振りもしなやかに、扇や四つ竹も使って綺麗に踊る。
「笠松峠」は“段物”といふ芝居仕立ての踊りで、敵討物語。

こちらも演じるのは全て子どもたちで、立回りに見世物芸のやうな面白さがある。
「こども子守」は飴屋踊りの代表曲を子どもたちが踊るもので、

爪先を片足づつ交互に蹴り上げるやうにしてまわる振りが印象的だ。
役の年齢に近い女の子たちの丁寧な身のこなしが、なんとも頼もしく、そして微笑ましい。
「五段目」は仮名手本忠臣蔵の五段目を移した“段物”で、濃厚に漂ふ昔の村芝居のにほひが注目に値する。

定九郎と与市兵衛のやり取りに独特のとぼけた味があり、大芝居の狂言が全国津々浦々へどのやうに伝播し、土着したかを考へる上で、生きたよい資料と言へる。
子どもの演じる猪が、一瞬の出番ながら可愛らしい印象をのこす。
「新川」は土地柄らしい漁師の手踊りで、

次の「かきがら」も同じく漁師が、

牡蠣を採るさまを滑稽に見せる手踊り。
いづれも、波模様の浴衣に豆手拭ひで頭を覆った子どもの姿が、可愛らしく映える。
後半は、大人たちが熟練の技を見せる演目となる。
「細田の奴」は、娘へ助平心たっぷりに言ひ寄る奴と和尚を、娘は上手にあしらって逃げるといふ、セリフの掛け合ひが主体の喜劇仕立てな段物。

和尚が見せる卑猥な身振りは、さすがに大人でなければちょっと面白さが出ないだらう。
性におほらかだった昔の庶民が垣間見へる。
最後が再び「子守」。

片足づつ交互に爪先を上げて回る印象的な振りに、やはり大人ならではの熟練技が光る。
どの演目の、どの演者も、みな化粧顔も立派な芸達者揃ひであることにけっこう驚かされた、とても楽しいひととき。
菊名の飴屋踊りは、もともと男性たちによって伝承されてゐたさうだが、後継者不足などで平成元年に一度途絶え、それから二十年後、地元の女性たちによって復活し、現在に至る。
華やかな飾り付けがされた舞台の前へ敷物を敷き、思ひ思ひに腰を下ろし、飲食を楽しみながら綺麗に着飾り達者に踊る演者へ、“おひねり”を投げる―
傍らに並ぶ夜店からは、香ばしいにほひがお腹をくすぐる―
懐かしい日本が、そこでは今も生きてゐる。
伴奏の唄は、かつては踊りに合わせて生で唄ってゐたのだらうが、現在は昔に録音されたテープを使用してゐる。
音源が古いため、歌詞が言語としては聞き取りにくいが、音楽として聞くと、鉦らしきものを打ちながらおほらかな声で唄ってゐる様子に、どこか郷愁のやうなものを覚える。
さうした懐かしい空間も、貴重な“文化財”なのだ。
京浜急行久里浜線の三浦海岸駅を降りて、相模湾の潮騒を聴きながら砂浜に沿って歩くこと二十分、山側に折れた先に昔ながらの長閑な景色が広がる。

その丘の上に鎮座する白山神社の祭礼で奉納されるのが、件の「飴屋踊り」だ。
江戸末期、行商の飴売りが客寄せのために街頭で見せた歌舞芸が農漁村に流入し、いま見る形になったと考へられ、当地には“飴与三”と云ふ飴売りが伝へたと言はれてゐる。
開口一番は「白松粉屋(しらまつこなや)」といふ手踊り。

地元の小学生たちが手振りもしなやかに、扇や四つ竹も使って綺麗に踊る。
「笠松峠」は“段物”といふ芝居仕立ての踊りで、敵討物語。

こちらも演じるのは全て子どもたちで、立回りに見世物芸のやうな面白さがある。
「こども子守」は飴屋踊りの代表曲を子どもたちが踊るもので、

爪先を片足づつ交互に蹴り上げるやうにしてまわる振りが印象的だ。
役の年齢に近い女の子たちの丁寧な身のこなしが、なんとも頼もしく、そして微笑ましい。
「五段目」は仮名手本忠臣蔵の五段目を移した“段物”で、濃厚に漂ふ昔の村芝居のにほひが注目に値する。

定九郎と与市兵衛のやり取りに独特のとぼけた味があり、大芝居の狂言が全国津々浦々へどのやうに伝播し、土着したかを考へる上で、生きたよい資料と言へる。
子どもの演じる猪が、一瞬の出番ながら可愛らしい印象をのこす。
「新川」は土地柄らしい漁師の手踊りで、

次の「かきがら」も同じく漁師が、

牡蠣を採るさまを滑稽に見せる手踊り。
いづれも、波模様の浴衣に豆手拭ひで頭を覆った子どもの姿が、可愛らしく映える。
後半は、大人たちが熟練の技を見せる演目となる。
「細田の奴」は、娘へ助平心たっぷりに言ひ寄る奴と和尚を、娘は上手にあしらって逃げるといふ、セリフの掛け合ひが主体の喜劇仕立てな段物。

和尚が見せる卑猥な身振りは、さすがに大人でなければちょっと面白さが出ないだらう。
性におほらかだった昔の庶民が垣間見へる。
最後が再び「子守」。

片足づつ交互に爪先を上げて回る印象的な振りに、やはり大人ならではの熟練技が光る。
どの演目の、どの演者も、みな化粧顔も立派な芸達者揃ひであることにけっこう驚かされた、とても楽しいひととき。
菊名の飴屋踊りは、もともと男性たちによって伝承されてゐたさうだが、後継者不足などで平成元年に一度途絶え、それから二十年後、地元の女性たちによって復活し、現在に至る。
華やかな飾り付けがされた舞台の前へ敷物を敷き、思ひ思ひに腰を下ろし、飲食を楽しみながら綺麗に着飾り達者に踊る演者へ、“おひねり”を投げる―
傍らに並ぶ夜店からは、香ばしいにほひがお腹をくすぐる―
懐かしい日本が、そこでは今も生きてゐる。
伴奏の唄は、かつては踊りに合わせて生で唄ってゐたのだらうが、現在は昔に録音されたテープを使用してゐる。
音源が古いため、歌詞が言語としては聞き取りにくいが、音楽として聞くと、鉦らしきものを打ちながらおほらかな声で唄ってゐる様子に、どこか郷愁のやうなものを覚える。
さうした懐かしい空間も、貴重な“文化財”なのだ。