横須賀美術館の「集え! 英雄豪傑たち」展を観る。
江戸時代から現代の美術作品に登場する英雄豪傑たちを一堂に会した企画展で、神話の時代、源平合戦の時代、そして戦国時代の勇者たちが、その時代(とき)を彩った藝術家の手によって、個性豊かに奮戦する。
なかでも気に入ったのが、川辺御楯(かわべ みたて)が明治半ば頃に発表した、「衣笠合戦金子兄弟奮戦之図」。
岩絵具のみごとな色彩美は、これぞ日本古来の藝術と太鼓判を捺したくなる逸品。
まう一点が、尾竹国観が昭和5年に発表した「巴」。
巴御前が二人の侍女に手伝はせて甲冑を身に着けつつ、きりっとした流し目で敵を警戒する表情に、女武者の“艶(いろけ)”を見る。
もし私がこの時の寄せ手だったら、あの目線にたちまち心を射貫かれたやもしれぬ……。
順路の最後に、現代美術家の手になる武者人形がいくつか展示されてゐたが、写実性に富んでゐるやうで顔の表情がどれも同じ、大したことないな、と思ふ。
美術館の前にひろがる観音崎の眺めをしばし楽しんでから、
西浦賀の為朝神社で、「浦賀の虎踊り」を二年ぶりに観る。
司会進行役が若返り、また女の子たちの扮する唐人を率いる“大唐人”も、それまで演じてこられた方が昨年に亡くなられて──二年前に観た時、最後に『○○さん、年齢不詳』と紹介されて笑ひが起きてゐた──、次代の方に受け継がれた、とのこと。
僅か二年の間に、大きな変化があったのだなぁ、としみじみ思ってゐるうちに開演。
まずは虎狩までの慰みにと、小さな唐人たちが綺麗によく揃った踊りを見せる。
なかにひとり、ニコニコとよく笑ふ子がゐて、その罪の無い表情にこちらも気持ちが和む。
やがて大虎と小虎の二頭が登場するが、
そのうち右側の小虎の後ろ足には女の子が入ってゐて、ここにも時代の流れを感じさせる。
最後は和藤内がかざす“叶明神”の護符によって虎は退治され、めでたくお開き。
今回も、良いものを楽しく観させていただひた。
さて、三浦半島の国道16号線を通行するたびいつも気になってゐたのが、横須賀市田浦町の「船越隧道」口の右脇に見ゑる、洞窟のやうな大きな穴。
現在は茂みに覆われて見へにくひが、これは明治26年、素掘りによって開通したかつての「田浦トンネル」跡で、第一次大戦までは地域の大事な交通路だった。
茂みをかき分けて接近してみると、入口には柵が設けられ、
その先は廃材置き場のやうになってゐる。
なかは砂利などでだいぶ埋められてゐるやうだが、壁面には素掘りの跡がはっきりと残されてゐる。
すぐ横の、大正12年に田浦トンネルに替わって新規開通した船越隧道を通って横浜側へ行くと、
景徳寺の脇あたりに出口が窺へる。
もっとも、付近は会社の敷地になってゐるため、これ以上は近づけない。
──ただそれだけの探訪ながら、大きな冒険を果たした満足感を得る。
古道はすなわち、未来への道。
発見や出逢ひは、
そのすべてが新しいのだ。
江戸時代から現代の美術作品に登場する英雄豪傑たちを一堂に会した企画展で、神話の時代、源平合戦の時代、そして戦国時代の勇者たちが、その時代(とき)を彩った藝術家の手によって、個性豊かに奮戦する。
なかでも気に入ったのが、川辺御楯(かわべ みたて)が明治半ば頃に発表した、「衣笠合戦金子兄弟奮戦之図」。
岩絵具のみごとな色彩美は、これぞ日本古来の藝術と太鼓判を捺したくなる逸品。
まう一点が、尾竹国観が昭和5年に発表した「巴」。
巴御前が二人の侍女に手伝はせて甲冑を身に着けつつ、きりっとした流し目で敵を警戒する表情に、女武者の“艶(いろけ)”を見る。
もし私がこの時の寄せ手だったら、あの目線にたちまち心を射貫かれたやもしれぬ……。
順路の最後に、現代美術家の手になる武者人形がいくつか展示されてゐたが、写実性に富んでゐるやうで顔の表情がどれも同じ、大したことないな、と思ふ。
美術館の前にひろがる観音崎の眺めをしばし楽しんでから、
西浦賀の為朝神社で、「浦賀の虎踊り」を二年ぶりに観る。
司会進行役が若返り、また女の子たちの扮する唐人を率いる“大唐人”も、それまで演じてこられた方が昨年に亡くなられて──二年前に観た時、最後に『○○さん、年齢不詳』と紹介されて笑ひが起きてゐた──、次代の方に受け継がれた、とのこと。
僅か二年の間に、大きな変化があったのだなぁ、としみじみ思ってゐるうちに開演。
まずは虎狩までの慰みにと、小さな唐人たちが綺麗によく揃った踊りを見せる。
なかにひとり、ニコニコとよく笑ふ子がゐて、その罪の無い表情にこちらも気持ちが和む。
やがて大虎と小虎の二頭が登場するが、
そのうち右側の小虎の後ろ足には女の子が入ってゐて、ここにも時代の流れを感じさせる。
最後は和藤内がかざす“叶明神”の護符によって虎は退治され、めでたくお開き。
今回も、良いものを楽しく観させていただひた。
さて、三浦半島の国道16号線を通行するたびいつも気になってゐたのが、横須賀市田浦町の「船越隧道」口の右脇に見ゑる、洞窟のやうな大きな穴。
現在は茂みに覆われて見へにくひが、これは明治26年、素掘りによって開通したかつての「田浦トンネル」跡で、第一次大戦までは地域の大事な交通路だった。
茂みをかき分けて接近してみると、入口には柵が設けられ、
その先は廃材置き場のやうになってゐる。
なかは砂利などでだいぶ埋められてゐるやうだが、壁面には素掘りの跡がはっきりと残されてゐる。
すぐ横の、大正12年に田浦トンネルに替わって新規開通した船越隧道を通って横浜側へ行くと、
景徳寺の脇あたりに出口が窺へる。
もっとも、付近は会社の敷地になってゐるため、これ以上は近づけない。
──ただそれだけの探訪ながら、大きな冒険を果たした満足感を得る。
古道はすなわち、未来への道。
発見や出逢ひは、
そのすべてが新しいのだ。