ラジオ放送の觀世流「春日龍神」を聴く。
春日明神の老神職の諫めで入唐渡天を思ひ留まった明恵上人は、そして現れた龍神の奇瑞によって荘厳なる佛法の場、そして三笠山に映し出された釈迦の一生を見る──
現在で云へば、さながらプロジェクションマッピングと云ったところか。
どんなに時間を經ても、ヒトの發想は大して變はらぬ、これが遺伝と云ふものだらう。
かやうな大がかりな情景も、文章ならば紙面に文字を落としていくだけで、あとは筆者の感性(才能)次第で變幻自在。
もっとも今回のやうな、やたら勢ひ込んで叫ぶばかりの謠ひでは、「この面々はなにをそんなにムキになってんだ……?」と、そちらばかりが氣になって、八大龍王もヘッタクレもない。
これならばやはり、入唐渡天したはうが良ささうだ──
私がこの場の明恵上人ならば、必ずさう思っただらう。