ラジオ放送の大藏流狂言「萩大名」を聴く。
訴訟のため在京が長引いてゐる田舎大名(領主)が、憂さ晴らしに太郎冠者に伴はれて訪れた庭の美事な宅で、無知無學をさらけ出して恥をかく噺で、今日でもよく上演される。
學生時代に銀座能樂堂で觀た故人和泉元秀と元彌の父子による舞薹が初見以来、私がもっとも多く觀た狂言ではないだらうか。
別にこの曲が好きなのではなく、觀たい能があって出かけた演能會で、しょっちゅう出てゐただけのことだが。
よく知りもしないことを人前で口に出して、まわりの人々に内心で嗤はれる例は現代でもよくあり、さういふ場面に出會すたび、知らない事柄については黙ってゐやうと自戒する。
何度も觀た「萩大名」だが、もう一昔前に、橫濱の能樂堂へ觀に行かされた演能會で、やはりこの狂言が出た。
觀に行かされた會だったので、流派も演者も憶えてゐないが、私の隣りの席で、やたらに笑ひたがるお客がゐた。
明らかに「萩大名」の内容を理解して笑ってゐると云ふより、滑稽劇だからなんでもかんでも笑ふつもりで初めから身構へてゐる、そんなウソ臭さがプンプンしてゐるお客だった。
ちなみにこの時の舞薹、大したこともなく、私はクスリとも笑へなかったのだが……。
私は「萩大名」と云ふと、あのとき隣席にゐたもうひとりの田舎大名のことを、ふと思ひ出したりする。