国立能楽堂で、金春流の「頼政」を観る。
源頼政-老境に至って平家に弓をひき、武運つたなく宇治の平等院に果てた源氏の武将。
芝に扇を敷いてから腹を切ったと云うその場所は、“扇の芝”と呼ばれて現在に伝わる。
頼政の霊が法体で現れたとき、わたしは無念を滲ませたその表情の生々しさに、思わず目を見張った。
わたしは、直面(ひためん)なのかと思った。
いや。
たしかに後シテは、この曲専用の面-“頼政”をかけていた。
能面は、人間の表情をはるかに超えた一瞬を見せることがある。
シテが謡っているのか、それとも面そのものが謡っているのか、眩惑される一瞬がある。
わたしが見所(けんしょ)に座っていて至福をおぼえる瞬間が、まさにここだ。
先日、古書店で朝鮮人だったかの著した、「能面のような日本人」なる本を見かけた。
失笑と言うほかない。
源頼政-老境に至って平家に弓をひき、武運つたなく宇治の平等院に果てた源氏の武将。
芝に扇を敷いてから腹を切ったと云うその場所は、“扇の芝”と呼ばれて現在に伝わる。
頼政の霊が法体で現れたとき、わたしは無念を滲ませたその表情の生々しさに、思わず目を見張った。
わたしは、直面(ひためん)なのかと思った。
いや。
たしかに後シテは、この曲専用の面-“頼政”をかけていた。
能面は、人間の表情をはるかに超えた一瞬を見せることがある。
シテが謡っているのか、それとも面そのものが謡っているのか、眩惑される一瞬がある。
わたしが見所(けんしょ)に座っていて至福をおぼえる瞬間が、まさにここだ。
先日、古書店で朝鮮人だったかの著した、「能面のような日本人」なる本を見かけた。
失笑と言うほかない。