横浜ユーラシア文化館の企画展「福を呼ぶ中国版画の世界」を見る。
眼を射るような強い色彩に、むかしの庶民の、幸福へのふかい羨望を感じる。
もっとも、一握りの悪人をのぞいて、古今東西、庶民はしあわせにはなれない。
これは宿命ではない。
そのように仕組まれている。
そのかわり善良なる一般人は、“夢”を見ることだけは、許されている。
見るだけならば、何事も起こり得ないからだ。
よって衆人はそこに、あらゆる思いを託す。
託された側は、もちろん何もしない。
しかし衆人は、どこまでも善良だ。
「来年こそ……」
すべてが仕組まれたこの世界に、次などない。
あるのは、いまそこに見えている、現実のみ。
それでも善良なる一般人は、明日の幸福を夢見て、今日も版画を刷る。
そんな虚しい習慣を繰り返し、受け渡し、受け継いでいくうちに、それは伝統的風習となった。
今日のこされている数十点の版画は、破れるべくして破れた夢の、残片でもある。
それでもわたしはいつものように戸口へ護符を貼り、祈りを捧げる。
“みんなみんな、しあわせになれますやうに……”
眼を射るような強い色彩に、むかしの庶民の、幸福へのふかい羨望を感じる。
もっとも、一握りの悪人をのぞいて、古今東西、庶民はしあわせにはなれない。
これは宿命ではない。
そのように仕組まれている。
そのかわり善良なる一般人は、“夢”を見ることだけは、許されている。
見るだけならば、何事も起こり得ないからだ。
よって衆人はそこに、あらゆる思いを託す。
託された側は、もちろん何もしない。
しかし衆人は、どこまでも善良だ。
「来年こそ……」
すべてが仕組まれたこの世界に、次などない。
あるのは、いまそこに見えている、現実のみ。
それでも善良なる一般人は、明日の幸福を夢見て、今日も版画を刷る。
そんな虚しい習慣を繰り返し、受け渡し、受け継いでいくうちに、それは伝統的風習となった。
今日のこされている数十点の版画は、破れるべくして破れた夢の、残片でもある。
それでもわたしはいつものように戸口へ護符を貼り、祈りを捧げる。
“みんなみんな、しあわせになれますやうに……”