迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

熱さに黙したるや。

2018-08-04 20:24:44 | 浮世見聞記
今年も、川崎の稲毛神社例大祭で上演された間宮社中の里神楽を観る。


さりながら、七月から続く熱さに昼間は誰もが出控へてゐるやうで、祭礼に訪れる人はまばら、露店の人たちも暇を持て余し気味。



昨年までの賑はひを思ふと、さすがに寂しくなる光景だ。

かく言ふ私も、今朝の空に出かけるのを躊躇(ためら)わなくはなかったが、神楽が始まる頃には舞台前がちょうど日陰になること、そして何より、我が手猿楽をエセモノなどにしないためにも、ちゃんと本物を学ばなくてはと、玄関を出る。





今回観たのは、三体の神がそれぞれに寿ぎの舞を舞ふ「墨之江三神(すみのえさんじん)」、



そして、紀千箭(きのちのり)が稲荷大神より与へられた弓矢で、稲荷山に棲み着ひた悪鬼を退治する、「稲荷山•悪鬼退治」。

前半に登場する狐神の毛の具合が、たまたまだらうがオシャレな髪型のやうになってゐて、



その面白さにしばらく見入る。

後半に登場する稲荷山の悪鬼たちは人間味溢れる道化の役柄で、



赤鬼が紀千箭に矢を射られた青鬼を手術で治療する場面などは、



見立ての面白さと相まってほのぼのとした笑ひを誘ふ。

──“庶民の喜劇”とは、かういふ味わはひを言ふのである。

青鬼の“完治”後は、再び現れた紀千箭と力比べに相撲を取ったり、



こっそり“八百長”をけしかけたりと、最近でも耳にした記憶があるやうなことを風刺的に魅せ、最後はやはり弓矢で退治され、



めでたくお開き。



夕方になっても街に人の姿は少なく、賑はふのは町内を巡行する御輿の担ぎ手たちと、そのまわりだけ。

そこを離れると、たちまち我関せずの白けた空気が漂ふ。


なんてことだ、と思ふ。



間違ひなく、夏といふ季節とは全く別物の災害に、いま日本は覆はれてゐる。
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