暴漢は中部地方出身の三十歳、「仕事を馘首(クビ)になりムシャクシャしてやった」と警察に話したと云うことを、僕はニュースで知った。
しかも、体内からは微量の大麻が検出されたとかで、僕は改めてゾッとさせられた。
知らなかったとはいえ、そんな危険すぎる男に、よくも立ち向ったものだ。
そして、あの若い女性警備員も……。
僕は、自分とたいして年齢(とし)の違わない男が、あのような事件を起こしたことに、気持ちが暗くなった。
唯一の救いは、刺された男性警備員は重傷ながら、一命はとりとめたことだ。
事件から二日後、僕は凶悪犯の逮捕に協力したということで、地元の警察署から感謝状が授与された。
犯人逮捕に協力して警察から感謝状をもらうのは、中学生のときに友人とたまたま目撃した引ったくり犯を追いかけて捕まえて以来、二度目だ。
署長室で、僕はあの女性警備員と再会した。
制服姿で現れた彼女は、この日はさすがに化粧をしていた。
それがナチュラルメイクであることに、僕は好感を持った。
―たっぷりこってり厚化粧の女性は、まるで仮面を付けているようで、僕は嫌いなのだ。
感謝状の読み上げる時に、僕は彼女が、「金澤(かねさわ) あかり」と云う名前であることを知った。
授与式のあとには、地元紙記者のインタビューがあった。
金澤あかりは、暴漢の刃を寸でのところで避けたことについて、
「数年前から習っているボクシングが、役に立ったのかもしれません」
と答えているのを僕は横で聞いて、記者と一緒に思わず「ほう……!」と、そんなスポーツをやっている風には見えない彼女の可愛らしい顔立ちを、見直したのだった。
そして僕へのインタビューで、「職業は大和絵を描く、日本画家です」と答えると、明らかに大和絵が何であるか解っていない記者に対し、「すごい……」とこちらを見る金澤あかりの瞳(め)が、僕には眩しかった。
制服を着替えてから出ます、という金澤あかりとは警察署で別れて、僕は駅に向かって歩いた。
そろそろ駅前にさしかかるところで、僕は「近江さん」と後ろから声をかけられた。
振り返ると、白いブラウスに黒のパンツ姿の金澤あかりがいた。
片手に提げた大きなバッグに、制服が入っているのだろう。
急いで追いかけたらしく、金澤あかりは少し肩で息をしながら、
「呼び止めてすみません。あの……、少しだけ、お時間をいただけますか?」
年下の女性にそんなことを訊ねられた経験のない僕は、少しドキリとした。
「本当に、少しだけでいいんです。さっきのことで、お話しを伺いたいんです……」
「ああ」
新聞記者のインタビューのことかと見当をつけて、僕は金澤あかりと近くのコーヒーショップへ入った。
テーブルにつくと金澤あかりはいきなり、
「近江さんはなぜ、日本画家になろうと思われたんですか?」
と訊ねてきた。
インタビューの時に僕を見ていた、あの瞳(め)だった。
僕はまた眩しいものを感じながら、自分の“家”のことを、簡単に話した。
そして、
「先祖の遺産を活きた形で継承したかったから、ですかね……」
「すごい、何百年も……」
金澤あかりは目を丸くした。
「と言っても、明治から現代までの百十数年は途絶えていたわけで」
「でも、すごい……」
金澤あかりは呟くように言って、アイスコーヒーに浮かぶ氷を見つめたきり、黙りこんでしまった。
なにかを考え込んでいる様子の金澤あかりに、すっかり手持ち無沙汰になった僕は、アイスコーヒーに挿したストローへ、ゆっくりと口を付けようとした。
すると金澤あかりは、ポツンとこんな言葉をもらした。
「わたしの生まれた家は、代々、歌舞伎役者の“家”だったそうです。……死んだ父の代までは」
僕はストローをくわえかけのまま、彼女を見た。
続
しかも、体内からは微量の大麻が検出されたとかで、僕は改めてゾッとさせられた。
知らなかったとはいえ、そんな危険すぎる男に、よくも立ち向ったものだ。
そして、あの若い女性警備員も……。
僕は、自分とたいして年齢(とし)の違わない男が、あのような事件を起こしたことに、気持ちが暗くなった。
唯一の救いは、刺された男性警備員は重傷ながら、一命はとりとめたことだ。
事件から二日後、僕は凶悪犯の逮捕に協力したということで、地元の警察署から感謝状が授与された。
犯人逮捕に協力して警察から感謝状をもらうのは、中学生のときに友人とたまたま目撃した引ったくり犯を追いかけて捕まえて以来、二度目だ。
署長室で、僕はあの女性警備員と再会した。
制服姿で現れた彼女は、この日はさすがに化粧をしていた。
それがナチュラルメイクであることに、僕は好感を持った。
―たっぷりこってり厚化粧の女性は、まるで仮面を付けているようで、僕は嫌いなのだ。
感謝状の読み上げる時に、僕は彼女が、「金澤(かねさわ) あかり」と云う名前であることを知った。
授与式のあとには、地元紙記者のインタビューがあった。
金澤あかりは、暴漢の刃を寸でのところで避けたことについて、
「数年前から習っているボクシングが、役に立ったのかもしれません」
と答えているのを僕は横で聞いて、記者と一緒に思わず「ほう……!」と、そんなスポーツをやっている風には見えない彼女の可愛らしい顔立ちを、見直したのだった。
そして僕へのインタビューで、「職業は大和絵を描く、日本画家です」と答えると、明らかに大和絵が何であるか解っていない記者に対し、「すごい……」とこちらを見る金澤あかりの瞳(め)が、僕には眩しかった。
制服を着替えてから出ます、という金澤あかりとは警察署で別れて、僕は駅に向かって歩いた。
そろそろ駅前にさしかかるところで、僕は「近江さん」と後ろから声をかけられた。
振り返ると、白いブラウスに黒のパンツ姿の金澤あかりがいた。
片手に提げた大きなバッグに、制服が入っているのだろう。
急いで追いかけたらしく、金澤あかりは少し肩で息をしながら、
「呼び止めてすみません。あの……、少しだけ、お時間をいただけますか?」
年下の女性にそんなことを訊ねられた経験のない僕は、少しドキリとした。
「本当に、少しだけでいいんです。さっきのことで、お話しを伺いたいんです……」
「ああ」
新聞記者のインタビューのことかと見当をつけて、僕は金澤あかりと近くのコーヒーショップへ入った。
テーブルにつくと金澤あかりはいきなり、
「近江さんはなぜ、日本画家になろうと思われたんですか?」
と訊ねてきた。
インタビューの時に僕を見ていた、あの瞳(め)だった。
僕はまた眩しいものを感じながら、自分の“家”のことを、簡単に話した。
そして、
「先祖の遺産を活きた形で継承したかったから、ですかね……」
「すごい、何百年も……」
金澤あかりは目を丸くした。
「と言っても、明治から現代までの百十数年は途絶えていたわけで」
「でも、すごい……」
金澤あかりは呟くように言って、アイスコーヒーに浮かぶ氷を見つめたきり、黙りこんでしまった。
なにかを考え込んでいる様子の金澤あかりに、すっかり手持ち無沙汰になった僕は、アイスコーヒーに挿したストローへ、ゆっくりと口を付けようとした。
すると金澤あかりは、ポツンとこんな言葉をもらした。
「わたしの生まれた家は、代々、歌舞伎役者の“家”だったそうです。……死んだ父の代までは」
僕はストローをくわえかけのまま、彼女を見た。
続