「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

   サツマイモ雑感 昭和通りにも畑を作った頃

2009-09-08 04:58:02 | Weblog
隣の町の安売りスーパーで一本88円のサツマイモを二本買ってきた。昔なら太の
男のすることではない、と笑われたものだが、最近は野菜でも果物でもばら売りが
増え、それほど恥ずかしいことではなくなった。

戦中戦後の食糧難を体験した世代にとってサツマイモには色々な想い出がある。昔
の資料を調べていたら昭和18年6月23日号の「写真週報」が出てきた。政府の情報
局が一般国民向けに出していた写真週刊誌である。”寸土も耕せ、食糧自給だ。電
車通りにも畑を!”という見出しで、東京の歌舞伎座近くと見られる昭和通りでもんぺ
姿の女性が畑を耕している写真が載っている(写真)

記事には”腹が減っては戦は出来ないのだ。甘蔗(サツマイモ)、大豆、ソバ,ヒエなん
でもよい。腹のたしになるものは今のうちに植えよう”と書いてある。そうだった。あの
頃は米の配給が止まり、かわりにサツマイモが配給されるようになった。それも"沖縄"
という大きいだけで不味い芋だった。

ばら売りで買ってきたサツマイモは種類は知らないが、甘くて最高の味だ。昔も"金時”
とか”太白”といった美味しい品種もあったが、配給にはならず、母親が帯芯で作った手
製のリックを背負って買い出しに行って農家から入手してきた。サツマイモはサイ切りに
して米と一緒に炊いたり、雑炊にして食べた。最後にびろうの話だが、あの頃は満員電
車で放屁する人が多くくさかった。