「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

              日本人の英語力

2011-10-06 06:05:50 | Weblog
東大大学院の秋の入学式で式辞も祝辞も英語で行われたと話題になっている。日本の企業の中には、すでに公用語を英語にしている会社もあり、日本の"国際化”もここまできたのかと驚きである。とくに戦争中、英語が敵性語として軽視された教育を受けた僕らの世代にとっては、まさに隔世の感である。

僕は戦争末期の昭和18年に旧制中学に入学、戦後の23年に卒業したが、戦争中は英語は敵性語として軽視され、戦後は逆に進駐軍の言葉としてもてはやされた世代である。戦中は英語教育は禁止されたという説もあるが、僕の学校では、20年1月、工場に勤労動員されるまでは英語の授業はあった。ただ19年度の教科書は文部省編纂の戦時色の強い内容であった。友人の一人は19年度出版の三省堂の「英和辞典」を今でも持っているが、表紙裏には特攻隊らしい軍服を着た兵隊の絵が描かれ"撃ちてしやまん”の標語が載っている。

戦後は占領軍の進駐とともに「日米会話手帖」という小冊子が売りだされ20年の年末までの僅かの期間に360万部も売れた。これで象徴されるように、敵性語だった英語は大ブームとなり、NHKのラジオからは童謡「証誠寺の狸ばやし」のメロディに乗って平川唯一先生の"カムカム・イングリッシュ”が大人気となった。巷には進駐軍の俗語なのだろうか。”ハバ・ハバ”(急げ急げ)という言葉が子供たちの間にも流行った。

しかし、学校で教える英語はあいも変わらず戦前からの読み書き中心の英語だった。大学受験の参考書には大正時代から一千部も増版したといわれる小野圭一郎先生の「英文の解釈研究」がもてはやされた。戦前から戦争直後に英語教育を受けた世代は、英語を読んだり、書いたりすることは、ある程度できるが、英語を聞いたり話したりできないのは、このためだろう。

戦後半世紀以上たって、やっと式辞も祝辞も英語で行われる学校も現れた。国際語としての英語の必要性は、僕らの現役時代とは比べものにならない。英語が敵性語だった僕らとは違う。読み書きだけでなく、話す聞く英語をもこれからは均等に力をいれるべきであろう。