海外に長期滞在している知人からメールが入り、先日物故された北杜夫の著「ドクトル・マンボ航海記」を再読したいので、送ってくれないかと依頼があった。文庫本なら簡単に入手できると考え、たまたま昨日、神田で会合があったあと、いま開催中の「古本市」を見て回ったが、見つからない。新刊本の店にも「ドクトル」物は売り切れてなかった。
神田の「古本市」も半世紀の開催を数え、すっかり定着した形だ。昨日は土曜日ということもあって、すずらん通りを中心とした会場は人人人で一杯。書店ごとに小さなブースで古書を売っているが、人気書店の前には人だかりがして、ゆっくりと目当ての本など探せない。僕のように特定の文庫本を探しに来た者にとっては、どこへ行って探すのか判らない。
戦後まもなく、僕は空襲に会わなかった神保町の古本街へよく出かけた。学校で先生が黒板に板書して教えていた「徒然草」の本が入手したくて、一軒一軒店を覗いて歩き、ついに一冊ボロボロの古本を見つけた時の喜びは、今でも忘れられない。当時は食糧難の時代で人々は空腹を抱えていたが、活字にも飢えていて古本街の店はどこも賑わっていた。
古本探しの楽しみの一つは、自分の探している本が、思わぬ専門外の古書店で格安の値段で入手できた時だ。僕の記憶が正しければ、神田の古本市も昔は、今のように各書店ごとのブース販売ではなく、青空市のような形で各店が出品した本がごっちゃに売られていた記憶がある。お客にとっては、この方式の方が、思わぬ探し物を発見したときの、あの喜びを味わえるのだが。客寄せで仕方がないとは思うのだが、「古本市」と食物屋台の同居はどんなものなのであろうか。
神田の「古本市」も半世紀の開催を数え、すっかり定着した形だ。昨日は土曜日ということもあって、すずらん通りを中心とした会場は人人人で一杯。書店ごとに小さなブースで古書を売っているが、人気書店の前には人だかりがして、ゆっくりと目当ての本など探せない。僕のように特定の文庫本を探しに来た者にとっては、どこへ行って探すのか判らない。
戦後まもなく、僕は空襲に会わなかった神保町の古本街へよく出かけた。学校で先生が黒板に板書して教えていた「徒然草」の本が入手したくて、一軒一軒店を覗いて歩き、ついに一冊ボロボロの古本を見つけた時の喜びは、今でも忘れられない。当時は食糧難の時代で人々は空腹を抱えていたが、活字にも飢えていて古本街の店はどこも賑わっていた。
古本探しの楽しみの一つは、自分の探している本が、思わぬ専門外の古書店で格安の値段で入手できた時だ。僕の記憶が正しければ、神田の古本市も昔は、今のように各書店ごとのブース販売ではなく、青空市のような形で各店が出品した本がごっちゃに売られていた記憶がある。お客にとっては、この方式の方が、思わぬ探し物を発見したときの、あの喜びを味わえるのだが。客寄せで仕方がないとは思うのだが、「古本市」と食物屋台の同居はどんなものなのであろうか。