「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

傷痍軍人会の解散とインドネシア残留兵

2013-10-04 06:27:01 | Weblog
昨年9月一文した小ブログ「傷痍軍人会の解散消えゆく昭和」に対して昨日「沙羅」さんという方から”ツイートさせて頂きました”と「コメント」があった。僕はすっかり忘れていたのだが、昨日、天皇皇后両陛下ご臨席の下、日本傷痍軍人会が創立60周年の式典を催したことをテレビを見てしった。傷痍軍人会は会員の高齢化で、これが最後の総会で今年11月をもって解散することになった。

先の戦争で戦傷や病気で傷痍軍人と認定された方々は35万人いたが、今は全国で1100人といわれ会としての活動はできなくなった。歳月の流れで仕方がない。戦後すぐ政府がまだ正式に傷痍軍人に対して、恩給など支給がなかった時代、生活に困窮した傷痍軍人の中には都会の盛り場などで白衣を着てアコーデイオンを引きながら募金をしている姿があった。一般身障者に対しても社会の理解がなかった時代である。

戦争中の日本軍政史を研究している僕の周囲にもお世話になった傷痍軍人が大勢おられる。戦後インドネシアに残留スマトラで独立戦争に参加した喜岡尚之さん(故人)もその一人である。残留者の団体「福祉友の会」が編纂した本の中で喜岡さんは「寿命」という一文を寄せ、昭和17年2月、近衛歩兵五連連隊の准尉としてシンガポール上陸作戦に参加、敵弾が尻に当たり、1㌔もの肉がそがれた時のことを書いている。喜岡さんはこの傷で破傷風にかかったが手術により九死に一生を得ている。

日本政府は1991年、インドネシアに残留した旧日本軍関係者のうち政府の規定に従って21人の方に一時金という形で最高8万円の「軍事恩給」を支給したが、喜岡さんは支給されていない。もう一人の知り合い、池上成人さん(故人)はインドネシア独立戦争で銃弾が破裂して右手首を失った傷痍軍人であった。

「沙羅」さんのツイートを拝見させて貰ったら、ある人のコメントに「小異」軍人とあった。変換の誤りによるミスと思うが、若い世代の中には、国のために戦って傷ついた方が35万人もいた事実を知らない者も多い。傷痍軍人会は解散しても、戦争によって、こいいう不幸なことがあったことを将来に伝えたい。