「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

セレベス島にもいた残留元日本兵

2013-10-28 06:28:59 | Weblog
戦後もスラウェシ(セレベス)島に残留、インドネシア独立のためにゲリラ戦を展開、処刑された椛島一郎中尉の事は一部の関係者の間では知られていたが、このほど「スラウェシ島情報マガジン」管理者のご努力によるツゥイターの呼びかけで椛島中尉のお孫さんと、戦時中中尉の部下だった戦友との連絡がつき、電話で会話が出来た。

戦後インドネシア各地で旧日本軍関係者が敗戦後も祖国に帰国せず残留してインドネシア独立のために戦った。ジャカルタにある残留者組織「福祉友の会」が出版した「帰らなかった日本兵」によると、930名の方が独立戦争に参加したことになっている。しかし、この名簿の中には、スラウェシ島は一人も載っていないし記録もない。これは残留者の大半がジャワ、スマトラに残った方々で、その情報に基づくからである。

しかし、戦後10年以上経た1958年にモロタイ島で7人もの日本兵が発見されたり、さらにその16年後に台湾出身の中村輝夫さんが発見された例もある。非公式な情報では、昭和40年代、カリマンタンのバンジャルマシンで残留兵にあったという商社情報もある。セレベスでも「福祉友の会」情報にはないが、実際は椛島中尉のようなケースが実際にあった。

戦後の和蘭マカッサル裁判はバタヴィア(ジャカルタ)に次いで過酷なで34人もの刑死者を出しているが、調べると、このうち4人の方が戦後起きた対オランダゲリラ戦で死刑にされ、二人の方がそれぞれ5年の有罪判決を言い渡されている。椛島中尉や戦後連合軍裁判で刑死された方々の記録は歴史の表舞台からは消えかかっているが、当時の日本人の中には、こういった気持ちがあったことを後世に伝えたい。