「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

むかごご飯

2013-10-05 09:36:44 | Weblog
老妻がむかご(零余子)を自由が丘の無人スタンドで一袋200円で買ってきた。旬のものだが、なかなかスーパーでは売っていない珍品である。早速むかごご飯にして食べた。美味である。むかごは山イモや自然薯(じねんしょ)の葉のつけねにできる球芽で、小指の爪ぐらいの大きである。(写真)

わが家でむかごご飯を食べるようになったのはいつごろか。少なくとも僕にとっては”おふくろの味”ではない。信州育ちの老妻も昔食べたことはないという。「零余子」という漢字からみて恐らく中国から渡来してきたものだろう。

僕ら夫婦は二人とも戦中戦後の食糧難時代に育った世代である。混ぜご飯といえば、サツマイモ、大根、トウモロコシ、大豆、豆カスetcで、どれも好い想い出はない。むかごご飯のルーツは薬膳料理か精進料理なのだろうか。上品な味だが、これでは食糧時代では、腹の足しにはならなかったに違いない。

秋祭り 海ほうずき ブリキ玩具への郷愁

2013-10-05 06:07:37 | Weblog
僕が生まれて14歳まで育った東京の五反田駅界隈は今、秋祭りの最中である。昔は10月2日が宵祭り、3日が本祭りだったが、いつの頃からか10月の第一土曜、日曜に変わった。今年は残念ながら、膝が悪く出かけられないが、毎年この季節になると賑やかだったお祭りが懐かしく想い出される。

JR五反田駅から桜田通りを高輪方面へ坂を登りかけた右側に、僕の”産土神の雉子神社はある。正式名称は雉子神社だが、地元では“雉の宮さん”の愛称で親しまれている。江戸時代からの由緒ある神社だ。昔は桜田通りと呼ばれていなかったが、五反田駅前から4番の系統札をつけた市電がチンチンと走っていた。通りは今よりも狭く、その両側には神社まで露店がひしめいていた。その露店の中で、今でも僕の記憶にあるのは、安物のブリキ製の玩具と海ほうずきである。二つとも今、東京の縁日からは姿を消してしまった。

赤、青、黄色など原色にそまった海ほうずきが懐かしい。浴衣姿の少女たちがこれを口に含んで鳴らしていた。最近になって僕は海ほうずきが巻貝の卵のうであることを知ったが、自然の環境破壊によって採れなくなってしまったのか。それとも子供の趣向の変化なのだろうか。そういえば、ほうずきを鳴らしている姿もあまり見れなくなった。

露店で売られているブリキ製の玩具のなかでも、僕が一番欲しかったのはブリキ製の小さな舟であった。盥の中で舟が樟脳や蝋燭で走る姿が珍しく買って帰った。生きているひよこやカメを売る店もあった。昔は露店で扱う種類も、いまに比べれば多かった気がする。80老人の秋祭りへの郷愁である。