「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

犠牲祭 異文化文化理解の難しさ

2013-10-16 09:18:16 | Weblog
昨日、インドネシア人の知り合いと正午に会う約束をしていたが”今日は犠牲祭(Idul Adha)で朝モスクへ行かなくてならないので午後に延期してくれ”と電話があった。そんなこと前から判っていたのにと思ったが、やはり国民性の違いだ。半世紀前、初めてアラブ諸国へ出かけた時、いつも僕は他国の人が日本人とちがって時間にルーズなことでハラをたてていたことを思い出した。 

10月16日は、アジアの国々には休日なところが多い。イスラム国家のバングラディシュは16日、17日と連続して休日。イスラム教にとっては重要な行事の犠牲祭で、巡礼最後の日である。イスラム国ではないフィリッピン、シンガポール、スリランカも国内のイスラム教徒を配慮して休日である。

10月初めから南インドを旅行している孫から無事ゴアに着いたと娘宛てメールが入った。夜行バスや列車、時には船を利用しているようだが、盗難を警戒してパスポートや現金、ケータイは腹にベルトを巻きつけて旅行しているが、住民の親切に助けられて快適な旅のようである。しかし、10月は本人が事前に調べたのかどうか、やたらに休日が多い。11日―14日はヒンズー教のDussehraという休日。16日はイスラム教の犠牲祭だ。幸い、鉄道会社が休日のため半休だった位で旅の計画には影響はないらしい。

20年ほど前、僕も断食明けと華僑の旧正月とが同じ時期にあったことがあった。それなりに旅としては楽しいのだが、出来れば事前によく調査したほうが安全だ。

台風が外国人女性名で呼ばれていた時代

2013-10-16 06:32:56 | Weblog
台風26号が猛威をふるって関東平野を通過していった。特別用もない僕ら年寄りは、じっと家の中に蟄居していたが、現役は大変だ。通勤電車やバスのダイヤは混乱して大騒動だ。それより台風による記録的な雨で、伊豆大島では土砂崩れによって数十軒が倒潰し、その下敷きになって13人が死亡、45人が行方不明になっている。首都圏に住む僕らは、台風というと戦後すぐの時代の、昭和22年のキャサリン台風と24年のキティ台風を想い出す。

1947年(昭和22年)から52年まで、連合軍占領下にあったわが国では、台風を外国人女性名でアルファベット順で呼んでいた。キャサリン(Kyatherin)は、昭和22年9月、関東地方に上陸した台風で、この年7番目のものだった。渡良瀬川が決壊して、この流域だけで700人が死亡、利根川、荒川でも一部決壊、東京の下町も水浸しになる危険が出て進駐軍まで出動する騒ぎであった。キティ台風は24年、同じく関東平野の小田原付近に上陸した台風で、25人の犠牲者が出ている。

平和条約締結後は、台風名はその年発生した順に第○号と呼ばれているが、甚大な被害を出した台風に限り「狩野川台風」(昭和33年)「伊勢湾台風」(34年)と呼ばれている。自衛隊が自然災害に対して出動し,貢献しているのは今では当たり前のことになっているが、台風が外国人女性名で呼ばれていた時代は、まだ自衛隊はなかった。キャサリン台風のときは警察だけでは対応できず、進駐軍の支援がなければ復旧できなかった。

首都圏の利根川、荒川はキャサリン台風以後大きな決壊は起きていない。被害を教訓にして本格的な治水工事が行われたからだという。数年前民主党政権は"コンクリートから人へ”の政策を掲げ,八ツ場ダム建設反対を主張したが、残念ながら自然災害の多い、わが国では常時、災害防止を想定しなければならないのだ。