「アンパンマン」の作者やなせたかしが94歳で大往生ををとげた。やなせたかしは大正8年生まれである。やなせさんの世代、大正1ケタ生まれ(1912年―20年)は、日本の各世代を通じて最も苦労をされた人たちであろう。たまたま手元に戦後、インドネシアに残留した元日本兵の名簿があったが、これをみると理事長だった乙戸昇氏、石井正治氏(いずれも故人)をはじめ240人のうち185人がこの世代である。
この世代は物心つくかどうかの時代に世界恐慌の不況に見舞われ、満州事変に始まる長い戦争の時代を経験している。やなせさんも昭和16年徴兵を受け野戦銃砲隊員として中国大陸を歴戦している。実弟はフィリッピン沖で特攻隊員として戦死している。「アンパンマンのうた」は弟さんをしのんで作られたものだという。やなせさんお経歴をみると、漫画家、絵本作家、イラストレーターと多芸の人だが、アニメ「アンパンマン」の作者として世に知られるようになったのは70歳近くになってからだという。
大正1ケタ世代にはロマンチストの面もあるが、頑張り屋さんが多い、やなせさんの晩年は満身創痍で、膀胱ガンの手術を11回も受けたという。僕も同病で4回手術を受けているだけに驚き、その頑張りぶりに勇気をもらった。
ネットにやなせさんの名言集が載っていた。そのいくつかを紹介させて頂く。「生きていることが大切なのだ。今日まで生きてこられたたら、少しぐらいきつ句とも明日また生きられる」「一日一日は楽しいほうがよい。たとえ十種の病気持ちでも、出来る限り運を天に任せ、出来る限りおしゃれをして、この人生を楽しみたい」「健康でスタスタと歩いているときは、気がつかないのに、病気になってみると当たり前に歩けることが、どんなに幸福だったかわかる」まさに実感である。
この世代は物心つくかどうかの時代に世界恐慌の不況に見舞われ、満州事変に始まる長い戦争の時代を経験している。やなせさんも昭和16年徴兵を受け野戦銃砲隊員として中国大陸を歴戦している。実弟はフィリッピン沖で特攻隊員として戦死している。「アンパンマンのうた」は弟さんをしのんで作られたものだという。やなせさんお経歴をみると、漫画家、絵本作家、イラストレーターと多芸の人だが、アニメ「アンパンマン」の作者として世に知られるようになったのは70歳近くになってからだという。
大正1ケタ世代にはロマンチストの面もあるが、頑張り屋さんが多い、やなせさんの晩年は満身創痍で、膀胱ガンの手術を11回も受けたという。僕も同病で4回手術を受けているだけに驚き、その頑張りぶりに勇気をもらった。
ネットにやなせさんの名言集が載っていた。そのいくつかを紹介させて頂く。「生きていることが大切なのだ。今日まで生きてこられたたら、少しぐらいきつ句とも明日また生きられる」「一日一日は楽しいほうがよい。たとえ十種の病気持ちでも、出来る限り運を天に任せ、出来る限りおしゃれをして、この人生を楽しみたい」「健康でスタスタと歩いているときは、気がつかないのに、病気になってみると当たり前に歩けることが、どんなに幸福だったかわかる」まさに実感である。