goo blog サービス終了のお知らせ 

「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

台湾出身あるインドネシア残留軍属の死

2013-10-18 10:07:49 | Weblog
戦後インドネシアに残留、独立戦争に参加した台湾出身の宮原永治さん(インドネシア名ウマル.ハルトノ)が亡くなられた。大正9年生まれ93歳だった。宮原さんは大東亜戦争勃発直後の昭和17年3月、クラガン(スラバヤ)上陸作戦に第48師団給水部隊の軍属として参加、以来一時帰国はあったが、72年にわたってインドネシアの地に残留、日本とインドネシアとの間の友好親善に努めてきた。

僕はここ20年來、宮原さんとお付き合いを頂いてきたが、変な言い方だが、日本人以上に日本人で昔の大和魂の持ち主だった。風貌も古武士を思わせるものがあった。僕の第一の想い出は平成12年、ジャカルタの墓地公園(Museum Taman Prassti)で野ざらしのまま放置されていた旧日本軍広安梯隊の慰霊碑再建について、ジャカルタの日本大使館や邦人組織ジャパン.クラブが非協力だったのに対して、率先してインドネシア側と交渉にあたり再建がなった。

戦後、宮原さんは生活が苦しく、日本人残留者があまり好まない日本商社のりアウ州での海草採集にも従事した。その後ジャカルタに移住してからは残留者の福祉組織「福祉友の会」の仕事をボランティアで手伝っていた。いつも決まった色の半そでシャツを制服のように着て、大声で”今の日本の政治はなんだ。若者はなっていない”というのが口癖だった。

僕は台北に林大正さんという旧近衛第二師団の友人がいるが、大正生まれの台湾生まれの方には共通の日本への愛国心がある。宮原さん長い間℃苦労さまでした。安らかにお休みください。合掌 写真は宮原さん

フィリッピンの地震 昔は戦場、今は英語留学先

2013-10-18 05:44:32 | Weblog
フィリッピンのボホール島を震源とするM7.2の地震で、同島をはじめ近隣のヴィサヤ諸島の島々で死者155人、負傷者290人を出した。隣のセブ島ではフィリッピン最古のキリスト教会が倒壊したというAFP電を読んだ。ボホール島は大岡昇平の「俘虜記」の舞台になったレイテ島とも近く、この島でも戦争末期ゲリラ戦があった。

どうも日本のマスコミは、僕の偏見かも知れないがフィリッピンのニュースの報道が少ない。先の戦争の末期、レイテ島での大激戦で日本軍は2万人近くの犠牲者を出している。また、戦後のモンテンルパの連合軍裁判で、山下奉文将軍が刑死されるなど暗いイメージが原因とは思えないが東南アジアの他国に比べてニュース量が少ない。そのせいか政府の比国への関心度も低い。2006年にもレイテ島沖で大地震が起き、千人以上の犠牲者が出たが、日本の自衛隊の救援出動はなかった。

フィリッピンは国が戦場になり大被害をこうむった関係で、反日感情が強いと思っていたが、日本のアウン.コンサルティング会社がアジア10か国を対象に2011年行った調査によると、意外なことに対日感情は”大変大好き”67%、”好き”27%と調査国中、最もよかった。ちなみに最低は韓国で、それぞれ8%、28%であった。

今、日本の一部若者の間でフィリッピンへの英語格安留学が人気らしい。その留学先も今回地震のあったセブ島やレイテ島が多いと聞く。生活費コミで1か月10万円ぐらいで出来るという。時代は変わってきている。「俘虜記」の時代のあったことも忘れてはいけないが、今は留学の時代である。ありもしなかった”従軍慰安婦”に、いつまでもこだわっていても進歩も未来もない。