LCC(格安航空券]を使ってアジア各地を貧乏旅行中の孫が、約1か月のインド、ネパール滞在を終え、タイのアユタヤ遺跡の前で撮った写真を母親あてに送ってきた。孫は毎日メールで滞在先と簡単な感想を母親にメールしてきているが、今は南タイのリゾート地、サムイ島、パンガン島に滞在、南国のパラダイスを満喫しているようだ。かって、タイへ旅行したこともある僕も始めて聞く島々だ。早速調べてみたが、大東亜戦争勃発時、山下奉文司令官率いる第25軍の主力、第5師団が上陸したシンゴらから100キロと離れていない。
大東亜戦争は昭和16年(1942年)12月8日早朝(日本時間)ハワイへの奇襲と同時項ごろ、マレー半島東海岸の英領コタバルへの敵前上陸で開始されたが、当時中立国であったシャム(タイ)の海岸,シンゴラ,タべ、バター二にも日本軍は上陸している。コタバル上陸戦の陽動作戦と言われているが、山下将軍始め、ほとんど全員無事に上陸に成功している。しかし、タイへの事前通知が遅れたため、タイ軍との間で衝突があり一部犠牲者が出ているが。
これに対して、コタバルはあらかじめ日本軍の上陸を予期して海岸はトーチカで厳重に防備され、さらに悪天候もあって上陸に従事した第18軍支隊は300人を超す大きな被害を受けている、上陸成功後、現地はイスラム地域でご遺体を荼毘(だび)にふす施設がないため、ご遺体は小舟に載せて、仏教圏のタイ領まで運んだと、当時の記録にある。痛ましい限りだ、
僕の先輩の今沢栄三郎さん(100歳)も第5師団兵士としてシンゴら上陸作戦に従事しているが、当時上陸作戦の前線に立ったのは20歳代の若者であった。考えると、いま南国の島で青春を楽しんでいる孫と同じ年齢なのだだ。改めて「戦争と平和」について考え、平和の重みを知った。
大東亜戦争は昭和16年(1942年)12月8日早朝(日本時間)ハワイへの奇襲と同時項ごろ、マレー半島東海岸の英領コタバルへの敵前上陸で開始されたが、当時中立国であったシャム(タイ)の海岸,シンゴラ,タべ、バター二にも日本軍は上陸している。コタバル上陸戦の陽動作戦と言われているが、山下将軍始め、ほとんど全員無事に上陸に成功している。しかし、タイへの事前通知が遅れたため、タイ軍との間で衝突があり一部犠牲者が出ているが。
これに対して、コタバルはあらかじめ日本軍の上陸を予期して海岸はトーチカで厳重に防備され、さらに悪天候もあって上陸に従事した第18軍支隊は300人を超す大きな被害を受けている、上陸成功後、現地はイスラム地域でご遺体を荼毘(だび)にふす施設がないため、ご遺体は小舟に載せて、仏教圏のタイ領まで運んだと、当時の記録にある。痛ましい限りだ、
僕の先輩の今沢栄三郎さん(100歳)も第5師団兵士としてシンゴら上陸作戦に従事しているが、当時上陸作戦の前線に立ったのは20歳代の若者であった。考えると、いま南国の島で青春を楽しんでいる孫と同じ年齢なのだだ。改めて「戦争と平和」について考え、平和の重みを知った。